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亮音のワーホリ日記 in フランス~Rouen(ルーアン)編①~

ワーホリのビザを携えて日本を飛び出したはいいが……
計画がずさん過ぎて自らの首を絞めることになったのは、到着後1カ月も経たない頃だった。

向かった先はフランス。なぜフランス? と聞かれるといつも困る。
周りはみんな志の高い人ばかりだった。

料理人になるため! パティシエになる! アーティストを目指して! 恋人がフランス人!

だけど私一人違っていた。
ただフランスでホリデーしたかっただけだった。

そもそもは、社会人2年目に、ただ暇だからというだけの理由でたまたま始めたのが、ほんっとうに、たまったま始めたのがフランス語だった。
当時は趣味程度で始めたのだが、仲良くなったフランス人先生が元料理人で、フランスのチーズからスイーツ、肉のうまさまで身振り手振りで教えてくれるのが楽しくて、いつかはフランスへと思っていた。

初めてのフランスは25歳だった。
最初から1年も行く勇気はなく、2ヶ月だけの滞在トライしてみた。2ヶ月過ぎる頃には、もう少し滞在したい気持ちもあったけれど、語学は上達しないし、たった2ヶ月でも日本が恋しかった。素直に帰国することにした。

帰国後4年程経つと、ワーホリの年齢制限である30歳が目の前に迫ってきていた。帰国後スグはあまりフランスのことを考えなかったけれど、期限が迫ると、どうしてもうずうずしてしまう。

このチャンスを逃していものだろうか……。

日に日にフランスへの思いが募る。
ちなみに、ワーホリとはWorking-Holiday VISA(ワーキングホリデービザ)の略称で、両国間の相互の文化を若者が知るために作られたビザの種類である。申請できるのは30歳までと決められている。

まぁ、最後のチャンスだし、行っとくか。
何かあっても、どうにかなるよね。

2ヶ月のフランス滞在経験も、楽観的な考えを後押ししてしまった。

初めの1ヶ月だけ、寝る場所があれば、後はどうにでもなるっしょ。

その自信がどこから沸いていたのか、今でも定かではない。
初めの1ヶ月はルーアン(Rouen)という、パリから電車で1時間程の所にある町に滞在した。ここが以前も2ヶ月滞在した町で、今でもお気に入りの場所だ。

ホストファミリーには恵まれた。ルーアンの語学学校を1カ月間予約し、ちょうどその期間だけホームステイを依頼していた。
パリでアルバイト探したいから、駅前の家にしてくれと出発前にメールで頼んでいたら、本当に駅から徒歩2分の家を用意してくれていた。

ただ、初日から忘れられていた。
飛行機でパリに到着した日はパリに滞在するブラジル人の友人の家に泊まり、翌日電車でルーアンまで向かったのだが、その駅で2時間は待たされた。何度電話しても繋がらない。初めはフランス人だしこんなもんかなと悠長に構えていたのだが、さすがに遅すぎる。ブラジル人の友達に事情を説明すると、彼も電話そかけてくれ、何度目かで繋がり状況を説明してくれた。

私の到着予定日は土曜日だったのだが、日曜日と勘違いされていて、知り合いの結婚式に出席していたそうだ。ブラジル人の友人から電話がかかってきたのはちょうど帰る頃で、近くにはいなかった。
さらに1時間は待たされ、クタクタのままその日は眠りについた。

そんなトラブルはフランスでは当たり前、まだまだ序の口だ。
これぐらいで怒ったり悲しんでいてはフランス生活をエンジョイできない。

実際、語学学校で聞いた他の日本人の話は、もっと悲惨なものばかりだった。
・毎日ニンジンとパンしか出てこない
・階段の踊り場にベッドを置いて寝さされた
・大声で罵倒された
・家に帰るとすべての荷物が玄関の前に放り出されていた などなど

それに比べて、私のホームステイ先は恵まれていた。アパートを1棟丸々改装したような4階建ての一軒家で、さらに海の近くに別荘があり、別荘へも何度か連れて行ってもらった。
マダムは料理上手だったけれど、ムシューは全然だった。ただ、お金を払っているから一生懸命ソーセージを焼いたり、パスタを茹でてくれたりと頑張ってくれる姿が見ていて可愛かった。(父親と同い年ではあるのだけれど……)

週末の度に外出に誘われ、既に家を出ている私と同年代の娘たち2人ともウマが合った。
ただ、このホームステイ先は語学学校を通して予約していたのは1カ月だけ。半月を経っても仕事も住まいも見つからず、次第にパニック状態に陥っていった……。
フランスに入国する前はパリで働くつもりだったのだけれど、この頃にはルーアンで働いてみたいと思っていた。けれど、それは上手くいかなかった。小さな田舎町ではワーホリの制度を理解している経営者も少なく、ややこしいことが嫌いなフランス人はわざわざ日本人を雇うようなことはしてくれなかった。

1年の滞在予定が1カ月で帰国することになるかもしれない。

到着してから20日程経つころには、次第にそのことばかりが頭に浮かんで勉強も食事も会話も、何をしていてもあまり楽しくなかった。

果たして、本当にこのまま帰国してしまうことになるのだろうか……。

次回へつづく

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