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酸化した頭皮の汚れが頭の中の思考を完全に支配する前に、シャンプーで洗い流せればいいのに

美容室を変えて1年ほど経つのだけど、今のお店では毎回マイクロスコープで頭皮のチェックをしてくれる。

ここはきれいですね。
ここは毛穴の油が酸化しちゃってますね。
3日ぐらい取れてないかな。
全体的にはきれいです。
でも、汚れも残ってるので、シャンプーの量を増やしてくださいね。

そんな会話を2ヶ月に1回は聞くことになるのだけれど、マイクロスコープでのぞく酸化した表面の汚れと同様に、頭の中にも古い考えが溜まっているのかも……と考えることが最近多々ある。


仕事がら若者たちと触れ合う機会が多い。
物心がついた頃にはスマホが存在していた世代だ。
この職場に入って既に4年が経とうとしているのだけれど、初めはギャップに驚くばかりだった。

「PCでローマ字の大文字ってどうやって打つんですか?」
「メールの返信ってどうするんですか?」

もちろん、手紙の書き方も知らないから、全て説明する必要がある。
切手が必要なことも、封筒に住所を書かなきゃいけないことも。

そんなことも知らないのか! と、初めは呆れるばかりだった。
今の若者はそんなことも知らないなんて……と。

でも、よく考えれば当たり前なのだ。
スマホがあるからPCに触れる必要がそもそも少ないし、LINEがあるからメールの使い方を知らない。
手紙なんてもってのほかだ。
彼らにとってはメールの送り方も封筒の書き方も知る必要のない、不要な情報でしかないのだ。



そう考えると自分だってそうだ。
『時候の挨拶』なんてネットや本で調べなければ書けないし、調べたところで失礼に当たらないか、不安になる。

勉強不足と言われればそれまでなのだけれど、でも、やっぱり思うのだ。
普段使わない知識をストックしておくよりも、もっと日常的に必要な知識を溜めておきたい、と。
その点においては、目の前にしている若者と何ら変わりないのだ。

私が生まれた頃はスマホもなければ、PCも身近にはなかった。
徐々に普及していく様子を見て来からこそ、両方覚えなければいけない感覚を持っているけれど、今の若者たちはそもそも生まれてこの方ずっとスマホやネットが当たり前に手に取る距離にあったのだ。

そんな世界を作ったのはそもそも大人たちなのだ。
若者たちは今の社会の鏡なのかもしれない。

ただ私は、時候の挨拶もメールの返信の仕方も、PCの使い方も必要じゃないと言っているわけではない。
私の友人は今でも手書きの手紙を大事にしていて、万年筆やガラスペンにもこだわっている。メールやLINEも使うのだけれど、大事なお知らせは必ず手紙で届くのだ。たとえただの近況報告であったとしても。
その風習が私も好きで、返信は私も手紙で送ったりする。
だからと言って、そんな人ばかりでないことも理解している。


だからこそ、連絡手段や挨拶も多様性の時代になる。いや、もうそうなっているのだと言うことを、そろそろ頭で分かるレベルで済ませるのはやめようよって、それが当たり前な世界にちゃんと馴染んでしまおうよって。

不要と分かりつつ「お世話になっております」と定型的に送る挨拶の無駄さに嫌気がさす人もいれば、その一つ一つが大切な要素だと考える人もいる。

だからこそ、もっと他人を認めなければいけないのではないだろうか?

○○さんはメール(手紙)に挨拶の文言を入れないから失礼な人だ!
モノを知らないやつだ!

と批判する時代にそろそろ終わりが来ているのではないかと思うのだ。
挨拶文を入れることが古いと言うことではなく、入れる人、入れない人、簡単に済ませる人がいることを認めようよ。それをそれぞれの特徴ととらえればそれでいいじゃないかと言うこと。

好きな人はやればいいし、無駄だと思うならやらないでいい。
お互いがお互いを見下すようなことはせず、それぞれの個性でしかないのだ。
この人は毎回心のこもった挨拶をしてくれる人だとか、この人は挨拶は特にないけれど、いつも即答してくれるから、話が早いとか。
そんなことでいいじゃないかと。

でもやっぱり世の中そんなにすぐには抜け出せない。そして、私も中々そこから抜け出せていないのだ。
未だにそんなことを言っているのか、周回遅れだと言われそうだけれど、でも、やっぱりその渦中にいる人はたくさんいると思っていて、いわゆる「上の人(この表現はあまり好きではないけど、分かりやすいので)」に、挨拶が大切だと言われれば、その大きな声が通ってしまう。

その強要する姿勢が、未だに社会に充満している。
そう思った時に、私も今の若者は! と思っていたことを思い出し、そんな社会から抜け出せていないのかなぁと若い子を前に反省するのだ。

酸化した頭皮の汚れは表面だけでなく内側にまで侵入しているのかもしれない。
シャンプーで頭の外も中も洗い流せればいいのに。

私の頭の中にもまだまだ古い考えがこびりついているのだけれど、若者と接する機会が多いのは幸いだった。

今の時代を生きている若者たち。
それよりも少し早めに生まれ、共に今を生きている私なりに、何を伝えてあげられるだろう?

そのためにはまず、頭の表面だけでなく、内側もクリアにする必要があるだろう。
そんなシャンプーがあればいいのだけれど……笑

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