見出し画像

好きなものとこだわりと

「曇り人」の私は、

自分の好きな物ですらボヤっとしてしまっている。私なりに好きなものの模索をし続けているのだけれど、明確な答えは30歳を超えた今でも、見つけられていない。
そうなると、そもそも明確に答えられる好きを見つけようとしているのだろうか? とすら、自分で分からなくなってくる。

好きな色は? と聞かれても答えに困るのは、子供の頃から変わっていない。だって赤の中にも好きな赤もあれば苦手な赤もある。緑も青も。ピンクはあまり好きじゃないけれど、私にピッタリのピンクの小物をプレゼントしてもらった時は、気に入ってずっと使っていたこともある。
そんな私だから、嫌いな色も答えずらい。


そんな私は他の人に申し訳ないなと思う瞬間がある。
それは良く私を知っている人に、いや、だからこそと強調すべきなのかも知れないが、こんな事を言わせてしまうことがあるのだ。

プレゼント、何かほしいモノはある?
サプライズじゃなくてごめんね。
でも何を贈れば良いのか分からなくて。
どうせなら使ってもらえるモノが良いし……


あぁ、なんだかすみません。ほんとに!
モノはいらないから、気持ちだけで十分ですって思ってしまうのだけれど、社会人ともなると、特に相手が年上の場合は、そうも行かない。
その人なりに、考えに考えた末に、結果、何を贈ったらいいか分からないと言う結論に至ったようだ。

そりゃそうだよなぁ。だって自分でも好きな物、欲しいものを明確に答えられないのだから……

思い返せばプレゼントは商品券や図書カードをもらうことが多い。
読書好きだと知られていても、どんな本が好きなのか、どの本を持っているか分からないし、本といっても幅が広い。そもそも本を読まない人も多いから、選べない人もいる。
じゃぁ図書カードでとなるようだ。
本を読むのが好きだと知らない人は、商品券をくれる、自分の好きなモノを買いなさいと。

なぜだか、私はこだわりがありそうと思われているらしい。
特に最近では、モノを溜めない生活を目指していて、使わないモノはどんどん手放している。
整理して、その分、空間を大切に出来るのではと感気ているところだったりする。
そうすると自然と自分の好きなモノに囲まれた生活になっていく。

今回、プレゼントについて相談してくれた人にも、普段からそんな話をしていたから、プレゼントを渡したいという気持ちはあっても、何を贈れば良いのか分からないと、そんなことになってしまったのだそうだ。


さらに、私自身に明確な基準や、これが欲しい! と言うものもない。それがあればもう少しプレゼント選びにも困らないのだろうけれど……。
自分で買い物する時は、事前に何を買うか決めておくなんてことはあまりない。と言うより、出来ないくて、ウロウロして気になるなぁと思うモノを買って帰る。だから、シャツが必要だなと家で考えていたとしても、一歩外に出れば忘れているし、実際買って帰るのはデニムだったなんてことも……。

その中でも気に入ったモノは10年でも使い続けるけれど、逆に使わないなと思ったらすぐに手放してしまうこともある。

自分ではそれで問題なかったのだけれど、周りをこんなにも迷わせているなんて考えても見なかった。

それなら私は美味しいものを食べに連れて行って! と、本気で思うのだけれど、それはプレゼントと呼ばれないらしくて、これまた困る。

やっぱり使える「モノ」をプレゼントしたいのだそうだ。うーん。。ほんとに気持ちはありがたいのだけれど、そう言われてしまうと私自身がほんとに困ってしまう。

そこまで迷うぐらいならホントに気持ちだけでいいのにと、結局私も迷って結論が出ないのだけれど、やっぱりプレゼントは何か物でないといけないのだろうか。

はてと悩んでみて、レストランやパーティーで着飾った時のシンプルであまり値の張らない簡易なアクセサエリー類が良いのではと言ってみるけれど、それすらもセンスが分からないからなぁと、結局相手を悩ませることになってしまった(ほんとにシンプルなモノであれば、それで良いのに……)。


うーんうーんと唸ってみても、そりゃぁ、新しいパソコンやカメラのレンズだって欲しいけれど、そんな高価なものもお願いできないし、自分に必要なものを精査している中で、これが欲しいと明確に示すことなんてやっぱりできないと言う結論に、私なりに至ってしまった。

そこでやっと思いついた。

そうだ、いっしょに買い物に行けば楽しいんじゃないの?

一緒に買い物に行けばその思い出が残るし、めちゃくちゃ欲しいものが見つからなかったとしても、自分と皆で選んだモノであればきっと気に入る。

そう伝えると、なるほどーと、納得してもらえた。
今度一緒に買い物に行くことになりそうだけれど、今からワクワクしている。

きっとプレゼントと言うと、「モノ」と言う固定概念が強すぎてしまうものなのだろう。私は経験でもいいじゃないかと、少し頭をシフトしただけなのだけれど、きっとその少しの発想を捕まえることが大切なのだと思う。

最近では少しずつ時代の流れを感じるけれど、ある意味私のようにモノを持たない人間には良い時代になりつつあるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?