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【忘備録】滞留した思考を動かす

滞留した空気は呼吸をするにはやはり重たすぎた。

子供の頃は自分の道は自分で切り拓けるものと信じていた。そう信じたまま大人になったのに、気付くと周りに流されて生きる道を選んでしまっていた。
勉強したいことはないし、やりたいことも見つからない。でも、皆もそんなもんでしょ? って、とりあえず行ける大学へ行ってはみた。案の定、就職活動もうまくいかずに、友人達の中でも一人取り残され、なんとか受かったところに滑り込みで就職した。

一番遅くとか、早くとかではなくて、就きたい仕事が『ない』ことが問題だったのに、30歳を迎える頃まで、そんな当たり前のことすら気付けなかった。

社会人になって数度の転職も経験した。それでも、周りの目ばかり気にして、自分の好きが分からない。何が嫌いかも分からない。
空気が読めるタイプでもないのに、人の目ばかり気にしているから自分を見失ったままここまで来てしまった。
自分の好きが分からないと気づいてからも、それをどうすれば見つけられるのかが分からずに苦労をしている。

そして、違和感だけは積もっていく。
どうして上司は私にこんなことを言ってくるんだろう?
なぜこの生活を続けているのだろう?

なぜ……私は今、ここにいるのだろう?

以前であればその違和感を見て見ぬふりをして、理由のない不安にかられることが多かったけど、今はその違和感に向き合うだけの度胸はついた。
違和感に身を浸し、想像し、どうすれば自分らしく生きられるのか? どうすればもっと楽に呼吸が出来るのか? と考えを巡らせる。

4月から始めた5分間の瞑想と10分のストレッチ、10分の筋トレは毎日続いている。その瞑想の5分間は何も考えないのだけれど、自分と向き合う隙間を作ってくれている。そんな気のする時間だ。

身体を整えることは精神的にも余裕を与えるようで、身体を毎日動かしていることが自信に繋がる。少し余裕のできた頭の片隅で自分の将来について考える時間が出来始める。そうすると自分が動きたくなってうずうずしてきて、気付けば自然と行動に移していた。

まだまだ自分の好きはハッキリしないのだけれど、それでも違和感から向き合い、時には離れる覚悟は持つことが出来た。
その数日後には各方面に働きかけて、自分の思いと改善策を訴えることをしていた。

この方法で、全てが思い通りに行くとは限らない。
まだまだ未知の領域はたくさんあって、自分でもこの先どう道を切り拓けばよいのか分からない。けれど、子供の頃に信じていた通り、自分の道は自分で切り拓くしかないのだ。

動き出すと、滞留していたのは空気や周りではなくて、自分の思考だったことに気付く。水の中にいることすら気付いていなくて必死に手足をばつかせて、でも息苦しくて、呼吸を止めていたようなものだった。

昔友人に割れたことがある。
「周りに流されるのも能力だから、君はそれでいいんだよ」と。
確かに流されることがすべて悪いわけではない。だから、その言葉は当時の私を救ってくれた。けれど、今必要な言葉はこれではない。

流された方が呼吸がしやすいのか、自分のペースを乱さない方が良いのか、自分のタイミングで判断できることが大切なのだろう。

私の場合はその見極めが出来ていなくて、流され続けて違和感のある毎日を過ごしてきてしまった。これからはきっと違う。自分の道をしっかり自分のペースで切り拓けるよう、歩んでいかなければならない。

少しずつ息がしやすくなった今では、空気も澄んで見えるから不思議だ。

まずは身体を動かして滞留している思考を動かすこと。
違和感に気付くこと。
自分の好きを負い続けること。

行き詰った時に助けてくれるのは、案外直接関係のない自分の行動だったりするのかもしれない。

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