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人と比較するメリット

幸せに生きるコツとして「人と比較しない」を耳タコで聞いてきた。
比較しないことにトライしたことがある方は既にわかっているはず、「この世に生きている以上、比較しないで生きるのは至難な業」だと。


例えば私の場合、日常生活で「比較しない難しさ」をとことん感じている。スーパーに買い物に行けば、偶然最初に目にしたトマトに手を伸ばして買うことはほとんどない。陳列されたトマトをじっくり見つめて、なるべく新鮮そうでずっしりと重みがあるトマトを選ぶ。

トマト


これは買い物に限ったことではなくて、常に「どちらが良いか?」「どちらがステキか?」「どちらがコスパがいいか?」と選択の連続の中を生きている。比較をしないと選択ができない。私たちは、常にベストな選択をしたいと思っているから、真剣に比較することは止められない。


人生とは選択の連続である=人生とは”比較”の連続である



また、自分を深く理解する意味で、人と比較すること自体は悪いことではない。ただ、人と比較することで、自分は人よりも勝っているとマウントしたり、または劣っていると自己否定したりしなければいいだけ。


人と比較をするメリットも感じている。
なぜなら、人との比較を通して自分を知ることができるから。例えば、この世に自分ひとりしか存在していなかったら、自分は人間かどうかさえもわからない。


自分は背が高いのか低いのか、歌が上手なのか下手なのか、運動神経が良いのか悪いのか、飽きっぽいのかそうではないのか、せっかちなのかおっとりなのか、比較によって自分の立ち位置や特性がわかる。



今までたくさんの人と自分を比較し関わってきたことによって、私は一体どんな人間なのかをだんだんと知ることとなった。これには終わりがなく、死ぬまで自分を知る旅となるだろう。


私たちは、自分以外のところで比較/選択して日々生きているのに、人と自分との比較となると、嫌な気分(劣等感、無価値感、無力感)に襲われることが少なくない。だから「人と比較しない」という幸せセオリーが生まれたんだと思う。


でも、自分を知っていく旅には、人との比較や関わり合いが不可欠。嫌な気分(劣等感、無価値感、無力感)が襲ってきたその時は、「より一層深く、自分を知るチャンス!」と、私は捉えるようにしている。

その嫌な気分の奥底に、普段は眠っている自分のピュアな感情、本音、願望が隠れている。「人と比較する」は、それを掘り起こすちょっとチャレンジングな宝探しなのかも知れない。






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