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読書を愉しむために、意識していること

今日から10月。
これからどんどん夜が長くなり秋が深まってきますね。

静まりかえった夜に、
外の鈴虫の声を聞きながらの読書は豊かで最高なひととき。

ただ私は、ここ数ケ月の間、読書との距離を置いていました(恋人同士のよ冷却期間のように)。具体的には、新しい本を読むことを控えています。


理由は、私の読書スタイルが『犬食い読書』だったから。本の内容をろくに理解も、ましてや実践もせず、ただ読み流すだけだったのです。
(それについては、下記のnote記事に綴っています)


※ ※ ※

読書の秋だし、もうそろそろ新しい本を読もうと思っているのですが、ちょっと二の足を踏んでしまいます。


なぜなら私には、

読書をすればするほど、苦しくなるクセ

があるからです。

でも、読書はとっても好き。


最近特に好きなジャンルは、ビジネス、自己啓発、哲学、心理学、ライフスタイル、エッセイ。おススメ本は全て目を通したくなり、Amazonでポチりたい衝動をいつも抑えています。


では、これほど好きなのに、読書をすればするほど苦しくなるって、いったいどういうことなのか?


好きなのに苦しいって、なんだか恋愛みたいだな・・・


※ ※ ※

読書をすると、あたり前ですが著者の価値観、世界観、考え方に触れますよね。そこから学びや気づきを得るのが読書の1つの側面だと、私は思っています。


著者の数だけ、感性や経験から見出した正解(主張)がある。それらには、共通点もあれば、相違点もある。


読書をしていくと、著者たちの「正解」がどんどん私の中に蓄積されていきます。

例えば、
文章を書くこと1つとっても、著者によってはいろんな「正解」があります。

・自分が書きたいことを書く
・自分が読みたいことを書く
・読み手の反応(イイね)を期待しない
・読み手が求めていることを書く


例えば、
幸な生き方1つとっても、たくさんの「正解」があります。

・他人と比較しない
・人の目(評価)を気にしない
・今を生きる
・感謝する


既に私たちは今までの読書から、たくさんの「正解」を蓄積してきたのではないでしょうか。


※ ※ ※

私は、コレクションしてきた「正解」はど正論すぎて、反論する余地はもちろんないのですが、息苦しくなってしまう時があります。

「正解」をいくら知っていっても、

その「正解」を達成できない自分。


「正解」に近づいていない、できていない自分にほとほと嫌気がさしてきます。


「正解」コレクションの1つ「人の目(評価)を気にしない」なんて、もうずっと昔から目指していますがまだムリです。



相手がどう自分のことを思っているのかめちゃくちゃ気になるので、(自分をよくみせたい欲があるので)、スッピンを晒すのはまずムリです(笑)。自分に下駄を履かせるクセが拭えませんし、自意識過剰が直りません。



また最近すごく意識している「今を生きる」も、いつも過去と未来に思考がぶっ飛んじゃってます。とても難易度が高い「正解」の1つです。


こうやって、ど正論の「正解」たちは、「自分はダメだ」と思わせる自己否定の材料となり、私をじわじわと苦しめるのです。



※ ※ ※

では、この秋、読書もしたいけど、「正解」で苦しむクセを直したい場合はどうすればいいか?

正解は、理想である


正解は100%到達するものではなく、ただの理想程度に思うことでちょうどいいのです。もともと難易度が高いのですから。世界平和くらいのレベルです。

ちょっとうがったモノの見方すると、
恐らくど正論の「正解」をおっしゃっている著者だって、

毎日100%できているわけではない


と思います。
だって、著者も同じ人間ですから。

これから、私が心から読書を愉しむためには、


新しい「正解」を増やして自分にハードルを課すのではなく、ただ単純に自分の視野や見識を広げていくこと。


気負わずに読書の世界にどっぷり浸かるのがいいかなと。

正解は、ただの理想である


そして、外からの「正解」はもう必要なくて、
自分で自分の「正解」を創っていくことが大切なのかなと思うのです。



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