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2つ目の人生が始まった日。火葬場で親父の骨を拾っていた。


真夏の芝の匂い

火葬の炉の扉が開いて、中から台車が引っ張り出されてきた。
のせられていた白い棺は、跡形もなく消えてなくなり、台の上には白い灰と、ばらばらになった骨が、横たわるように残っていた。

台車から上がってくる熱気と匂いは、「真夏の芝の上みたいだ」。
そんなことを考えながら、親父の骨をひとかけらずつ箸でつまみ、桜色の骨壺に納めていった。

今日は、4月1日。

世の中では、新しい年度が始まり、自分の新しい会社も、今日から社員を雇い、本格的に事業が始まった。
もし、あの時、県庁を辞めずに、そのまま定年まで働いていたとしたら、昨日が、定年退職の日だったはずだ。

親父は、48歳で役所を辞めてしまった私のことを気にかけていたようで、顔を合わせるたびに、「仕事大丈夫か。ちゃんとやっとるか」と言っていた。
小さいけど新しい会社を作ったこと、社長になったこと、これから先にやろうとしていたこと、4月になったら、実家に行って教えようと思っていた。

新しい会社の名刺は棺に入れたけど、思いは届いただろうか。
火葬場を出ると、道の両側に、満開の桜が続いていた。


市町村のお手伝い

もうかれこれ10年以上、岡山市にある法人で、主に市町村のまちづくりのお手伝いの仕事をさせてもらっている。

もともと地方公務員だったので、市町村の人たちと話をしても、一応言葉は通じるが、市町村と一口に言っても、政令市のような大都市から、人口が千人未満の村まであるし、予算規模や組織の大小に関わらず、物事の決め方やルールなど、いわゆる組織の風土や文化も、結構違っているので驚くことも多いし、その役所の「あたりまえ」が、他の役所の「あたりまえ」と、全然違っていることもある。

ただ、かく言う私の「あたりまえ」も、所詮、47都道府県の中の1つの県のやり方に過ぎないということを、常に心がけるようにしている。
ただ、最初の頃は、意識もせずに、県職員感覚で物を言うことが多かった。
お相手の市町村の職員さんにしてみたら、「そんなこと言われても、現場感覚とずれているなあ」とか、「上から目線で取っつきにくい」と、思われていたに違いない。

だから、自戒を込めて、「お手伝い」と「させてもらっている」という気持ちと言葉を、忘れないようにしている。 

今の法人でやっている、「お手伝い」の内容は、なかなかうまく伝えられない。よく「コンサルさん」とか、「シンクタンクの人」と言われるけれど、自分では、全然ピンと来ないし、違和感がある。

具体的には、市町村の人たちと一緒に、政策を考えたり、事業を作ったり、場合によっては、専門家を探してつないだり、そんな仕事のやり方をしているので、普段やりとりするのは、自治体関係者が多いのが現状だ。


やりたかったことを形にしたい

そんな中、ここ1年くらい前から、急にやりたいことが、どんどん明確になってきて、形にしたいと思うようになっていた。

「同じような世代の人が、少し希望が持てるような仕組み」をつくりたい。
思いを形にしていくために、こつこつ調べ、いろんな人の意見を聞き、打ち合わせを重ね、現場に出かけ、手続もして、新しく会社を設立した。
そして、若者1人と、シニアのエンジニアさんを1人雇用し、東京都内にシェアオフィスも設置した。

ここまでさらっと書いたけど、本当は結構大変だったけど、いろんな人に助けられ、何とか、4月1日を迎えることができた。

あれから早いもので、49日を無事に済ませ、今日に至っている。

新しい会社はスタートしたが、新しいサービスは、まだ始まっていない。
あの日の続きや、あの日までのこと、そして、これから先のこと、行ったり来たりしながら、これから書いていこうと思っている。

1月末、親父と最後に交わした会話のことは、今でも良く覚えている。
「わしゃ、こうなったら、百歳まで生きてやろうと思っとるんじゃ。」

みんなが、百歳まで生きている自分の姿を、思い描くことができる、そんな仕組みがつくれたらいい。

では、また、今度。

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