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民間企業のことを「業者」と呼ぶ、役所の文化を変えよう。

「ぎょうしゃ」という響き

数年前のこと。

ある自治体の、学校教育関連の事業を、一緒に受託していた、民間で学習塾や、エンターテインメントサービスを展開している大手企業の管理職の方が、何気なく、ポロッと言われたことがある。

「行政の人は、よく私たちを『業者』と呼ぶんだけど、この、『業者』って言葉を聞くと、すごく、いやーな気分になるんです。」

言われる側の気持ちは、県にいたときには、全く想像できなかったし、その時には、複雑な感情も湧き起こり、返す言葉が見つからなかった。

今、改めて思い出すと、その時は、頭が少し混乱し、2つのことを考えていた。

1つは、「なるほど、確かに、そうかもしれない。」
私自身も、県職員時代には、相手に直接に言う場合には「業者さん」、行政内部の会話だったら「業者」と、民間の企業のことを表わす言葉として、その企業全体でも、その企業の人に対しても、どちらにしても一様に、「業者」という言葉を、いつも、普通に使っていたということ。

もう1つは、学習塾など、幅広く教育産業に携わっている民間大手企業の方に対して、自治体の職員が、「業者」という言葉を使って会話する感覚が、正直、想像できなかった。

いずれにしても、その時には、「業者と呼ばれると、いつもいやな気分になる」という話題は、それ以上広がることもなく終わってしまった。

しかし、それ以降、自治体職員から、「ぎょうしゃ」という音の響きを聞くたびに、心がザワつくようになってしまった。

「業者」と呼ぶ理由は

官(行政)の側から考えて、民を属性で分類してみると、ざっくり、①住民、②民間企業(団体を含む)、③その他(大学等学識経験者、弁護士等の専門家)、こんな感じになると思う。

今回の、「業者」の件は、もちろん、②に属する民間企業のことだが、なぜ、一様に、行政の人たちは、そう呼んでしまうのだろうか。

話は少し逸れるが、③の人たちに対しては、だいたいの場合、「先生」って呼んでいるのに。

最近では、民間企業と行政がタッグを組んで、地域課題の解決に取組んだり、行政の組織の中に、民間企業人材を受け入れたりと、民間企業と行政の距離が、昔にくらべると、随分縮まった気がする。

また、行政の側も、包括的な連携協定を結んだり、企業版のふるさと納税の寄附の獲得に動いたりと、官の側から民の側に、大きく手を広げたり、差し伸べたり、場合によっては、頭を下げに出かけていったり、昔の意識で、官が上、いわゆる「お上」という意識がなくなってきていることは、とても良いことだと思っている。

じゃあ何で、いまだに、民間企業のことを、「業者」と呼んでしまうのだろう。

民間企業のことを、「業者」と呼ぶのは、役所文化の一つなのかもしれない。

私なりに、そうなった理由を想像してみた。

これまで、行政と民間の接点は、圧倒的に、行政の業務の発注や、仕事の依頼が多かった。

これには、当然、対価、つまり、支出が伴う。

行政が支出しようと思うと、予算を組んで、地方自治法に基づいて執行しなければならないが、これには細かい取り決めがある。

ここでは詳しくは書かないが、行政に替わって、何かしらの業務をしてもらうときには「委託料」、工事を発注するときには「工事請負費」、物を買う時には「需用費」や「備品購入費」、という区分けになっている。

行政側の意思が、仕様とかで予め定められており、民間(受注者)は、納期までに、ちゃんと決められたことに従い、納品すればいい、という構造になっていることが多かった。

だから、行政側の意識としては、民間には、裁量の余地もないし、工夫も求めておらず、多様性や個性を区別する必要がないので、「業者」という呼び名一つで、これまでは、足りていたのだと思う。

また、少し、話は逸れるが、さっきの、③の分類の「大学等の学識経験者や、弁護士等の専門家」に、仕事(例えば、講演、会議出席、各種相談等)を依頼する時の、支出の区分は「報償費」で、謝金とかお礼の要素が強くなっている。

だから、やっぱり、「先生」って呼んでしまうのかな。

「対等」を意識することから始めよう

世の中の動きは、どんどん速くなる。

行政の守備範囲は狭まることはなく、むしろ広くなり、複雑になっている。
行政だけで、すべてを賄い切るのは、とても無理なことだと思う。

繰り返しになるが、行政職員だけで仕様書をつくり、それを外部の民間企業にそのままやってもらう、というやり方だけでは、社会の変化や、新しい発想、技術を取り入れながら、住民のためになる行政、未来を見据えた行政を、展開していくことは不可能だ。

住民も含めて、民間企業の力を、要所要所に借りて、一緒になって、いろんな課題を解決していかないと、宿題だけがたまっていく。

時間の流れとともに、人やお金、活気が、少しずつなくなっていく。

だから、外の人や、民間企業の人たちと、考えることから始めている、地域や自治体が、最近多くなってきている。

自治体の職員が、知らない民間企業の人と接したり、話したりする場面になると、「東京の企業の人と話すのは、気後れする」とか、「民間企業の人に、何でもいいからアドバイスして欲しい」などと、日頃、民間企業の人を「業者」と呼んでいるとは思えないような、人見知り的な反応をしてしまう場面に、遭遇することも多い。

所属がどうとか、組織が大きいとか、役職とか、年齢とか、キャリアとか、ましてや、東京とか、地方とか、あんまり考える必要はないと思う。

民間企業と行政が、お互い尊重しながら、対等の関係を意識し、すこしずつ接点を探りながら、理解し、話し合っていくことを、始める時がやってきたのだ。

自治体職員が仕様書を書いて、それを「業者」にやらせる。
そんなやり方だけでは、地域課題は解決しないし、生き残れない。

宿題は、どんどんたまっている。

夏休みは残りわずかだ。

まずは、自由課題を、一緒にやってくれる仲間を探そう。

課題は、その後、考えればいい。

では、また、今度。

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