こんにちは河口勝司です。
河口勝司katsuji.kawaguchi
河口勝司って誰?
はじめまして河口勝司です。自己紹介をさせていただきます。 私は、人からは波乱万丈の人生を送っていると良く言われます。
母親の介護と小さな会社とコンサルティングとをしておりました。今でもお地蔵さんの絵や七福神の絵を描いており、今はKindle出版を目指して本を執筆して生活の為に観光タクシーをしています。
不定期ですがお地蔵さんの絵の個展を開催してます。1部NFT化して国内と海外へインターネット販売もしております。2024年秋に、フィレンツェにてお地蔵さんを描いてみないかと誘っていただいております 。
魔法のiらんどに、大天使のペンネームで 『見習い天使セナの冒険』『カホリちゃんファイト』『カホリできるもん♪』『セナちゃんのブーン!』『もっと生きて!』執筆しました。
巡り巡って会社勤め。ダメセールスマンからトップセールスマンになるが、
全てを捨てて、南米アコンカグア山約6900m遠征。登頂帰国後, 長年勤めた会社の倒産をきっかけに独立して商売の機敏や醍醐味を知り日本中を回ったが、
兄の突然死を機会に 生き方を変えて、創作活動に取り組み現在に至る。
日々の生業として、社長として、床鳴りや木製品・大理石・アルミサッシの傷補修業を続け、母親の介護に明け暮れながら、コンサルをしながら経営者で絵描きの道を歩くが、母親の認知症介護の為に会社を閉じて自宅介護に専念し看取りました。
【私は、人生で様々な事を学びました。】
小学生の頃から吃りに悩み苦しむが、中学で歌う時には吃らない事に気づいて、歌うように話して自分で吃りを治した。
また、小学生の時に人差し指に出来た小さなイボをいじっていたら中学生の頃には、小豆ほどに大きくなってしまい 医者から来週手術して取るって言われて、こんなイボ無くなれば良いと思った。1週間して明日は手術かと指先を見たらイボが消えていて自然に治っていた。
今思うと人の思いには、心や身体を治す力があると学ばされていたのでしょう。
31才で南米アコンカグア山登頂に成功した時も、山岳会の皆からは無理だから諦めろと止められた。
それでも必ず行くと毎日、頂上に立つ自分をイメージしてトレーニングを続けていたら、道が開けて1年後に遠征のメンバーに認めてもらい山頂に立つ事が出来た。
これも、たとえ不可能と言われても『意思あるところに道がある』と教えられたんだ。
絵は子供の頃に絵画コンクールに佳作で入った程度だった。
1999年の12月に兄が死に、その供養にお地蔵さんの世話をしだして、ある日お地蔵さんを描いてみたのがきっかけだけど。初期の絵は、何度描いても目が描けず、コケシのようなお地蔵さんばかり描いていた。
ある日、本当に素直な目が描けて、次の段階に進んだ。だがまだまだ自分の我や欲や感情が溢れた絵でしかなかった。
ところがある日、頭にズン!とまるで重しが乗ったような感覚になり、
何時間も描き続けても、喉の渇きも腹も減らず何時間でも描いていた。
所謂『ゾーン』に初めて入った。その時から今の絵になっていった。
その時から 絵を見た人が涙ながらに欲しがってくれたり
お札の様に壁やドアや車に貼る人、 身体に擦り付けて拝む人や食べる人が出て驚いた。
中でも一番驚いたのは、親しくしていた食べ物屋のご主人さんが亡くなり、残された奥さんが頑張ってたが、
ある日泣きながら電話で感謝された。彼女が、人生に疲れきり絶望的になりロープに手をかけたその時お地蔵さんの絵が目に入ったそうです。
その途端に涙が止めどなく流れ落ち、手にしたロープを離して泣き崩れたと電話してきました。
ガンが身体中を痛め懸命に治療をしている方がいて 『お地蔵さんの絵』に元気をもらったからと、ハガキサイズにして持ち歩いて下さっています。
また、お地蔵さんの絵を見ていたらマリア様に変わり、天使が次々と飛んで行ったとも言われました。
何億円もの絵や素晴らしい受賞作品や有名な画家さんすら出来ない、私のお地蔵さんの絵が、人の命を救ったことで、お金で測れない価値があると知りました。
【落ちこぼれセールスマンからトップセールスマンへ】
他人のふんどしで相撲を取るな!と営業マン時代よく言われましたが、ライバルが散々食い荒らした土俵にしがみつく必要なんかないんです。土俵をもう一つ創ればいいだけなんです。
たとえあなたが未熟であっても、皆のふんどしを集めると、そこに新しい土俵ができます。そこにお客さんが集まればいいだけの事なんです。
私はこの方法で落ちこぼれから大逆転しました。ダメセールスマンの時は、他社営業マンの後追いばかりしていました。そこでまず品物よりも自分を売り込み、他人とは違うやり方でトップセールスマンになれました。
しかし、営業部長と喧嘩して倉庫番に、他の部長に呼び戻されるも、辞めて海外遠征に!
南米登山から帰国して働いた会社が倒産して、逃げた社長に代わって職人さんの身の振り方や仕入れ先に頭を下げたりした後に、仕方なく独立したら順調に業績が伸びて資金繰りに苦しむ仲間を助けたり、お金を好きなように使ってしまい、リーマンショックと3・11で塗炭の苦しみを味わいました。
普通なら倒産して夜逃げになるところでしたが、ありがたいことに周りの人が様々な仕事を持って来てくださり、立ち直れました。
お礼に仲間の経営相談や人生相談をして励ましたところ。良い時も悪い時も経験した私の話に共感を持ち元気になってくれ、ますます相談者が増えました。
お袋の介護を通して人間を学び、新たに21世紀のビジネスモデルを平野カール教授から学んだ事を、 一人でも多くの人に伝えられたらとお茶会を開こうと思います。
俗に云う『コーチング』ではなく、簡単に言えば”人生を考え、何があっても生き抜ける力を学び合う場”を目指します。
私が伝えたいのは、人生や事業で『たった一度の人生を、他人に委ねてはならない。』と言う事です。自分を信じて、あきらめないでください。
その為には、信念が必要です。おのれを知り、相手を知り、共有できる場を持ち、自分から発信していく事(プラットフォーム化)で新しい自分に変わっていきます。
故吉本伊信先生の道場で学んだ内観を深めていくと、実は真我に気づき人生の目覚めを迎えられるんです。自分が自らのメンターであると知る事、自ら立つ、”自立自尊”が、信念を持った人間本来の生き方ではないでしょうか。
但し時には人に相談する事も良いのですが、依存心を持つ事なくアドバイスとして受け止める事が大事です。
サラリーマン・営業マン(訪販・メーカー。問屋・小売り)・倒産・独立・職人・一人親方・スピリチュアルカウンセラー・ヒーリングアーチスト・ヘルパー等々様々な体験をしてきたからこそ言える事があります。
📍大事なのは、生きて生きて生きる事なんです。
土壇場を切り抜ける勇気と、生き抜く『折れない心』なんです。
アフターコロナ禍でも、ぶれることのない希望の人になってもらいたい。その想いを伝えたいと河口塾やプラットフォーム戦略ビジネスモデル構築セミナーを不定期ですが開催しています。
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