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芸術の秋~芸術は教養だ!

アーティスト豊富なキャンパス

 僕が留学したアメリカの大学には、音楽から演劇、美術まで、「アーティスト」がたくさんいた。学期末の11月になると毎週のようにコンサートやら発表会が続いていたのを思い出す。僕も、オーケストラ、演劇、カントリーミュージックの演奏など、毎週何かしらの催しを見に行ったものだ。学生数1,500人程度の小さい学校で、ここまで芸術活動が盛んなのは正直驚きだ。  
 芸術系の科目を専攻している学生は割合で言うと1%ぐらいだったと思うが、他の学問を専攻しながら芸術系の授業を取る学生がたくさんいた。しかも、アメリカでは「専門教育は大学院修士課程で行うもの」という考えがあるから、学部で音楽と生物を両方専攻し、大学院で生物に専念しそのまま科学者になる、ということも可能である。

筆者が受講したMen's College Choirの発表会(後列右から2人目) 


副専攻と化した音楽

僕の方はというと、10歳の年の師走に、地元のコンサートホールでのベートーヴェン・第九演奏会に連れていかれたのをきっかけに、クラシック音楽一辺倒である(笑)。「アメリカでは専攻の国際関係の勉強にどっぷり漬かるのだろうな。専攻科目の勉強に手いっぱいで、他のことをする余裕はないだろう」と思っていたが、やはり音楽に対する欲求には抗えず、2年目の秋学期は今学期は合唱の授業二つ、声楽のレッスン、バイオリンのレッスンを取ってしまった。
 自分でも取り過ぎだと思ったが、いずれも大学で提供されている授業なので、しっかりと単位がもらえてしまう。音楽好きとしてあれほど嬉しいことはなかった。専攻は相変わらず国際関係だが、週10時間は音楽に費やしていたので、もはや副専攻レベルであろう。

教養としての芸術

 僕が留学した大学に限らず、アメリカには芸術に熱心な学生が多いと聞く。だからといって、それらの学生皆が音楽家や画家になるわけではない。
 要するに、プロ養成のための教育としてでなくて、人生を豊かにする、あるいは自らの人間力を高めるための「教養」としての芸術教育という位置づけなのだ。
 そして今、社会人になり、こういった芸術活動が、自分の人生にリラックスする時間を与えてくれているとも思う。その日の仕事で疲れた時とか、先が見えずに不安な時など、楽器に触って音を出すと、少しだけ気が晴れる。歳を取って、自分ができることは全部やり終え、仕事を完全にしなくなった時には、きっと毎日音楽をして過ごしているだろうなぁとも思う。

 音楽にしても、基礎を修得したり音符通りに演奏したりすることは基本の基。そこから先の、曲の物語や情感といったものに関しては、自分で頭をひねらないと出てこないし、表現できない。練習に練習を重ねて、本番で「表現」できた時の喜びはひとしおで、この喜びこそが、どんなに他のことが忙しくても僕が音楽を止められない理由になっている。

ちなみに、冒頭で「アーティスト」とカッコ書きにしたのは理由がある。

日本語では、「アーティスト」、「ピアニスト」、「バイオリニスト」とかいうと、ほとんどの場合、「職業としてやっているプロの人」という意味になるが、英語だと辞書的には「○○をする人」という意味でしかないので、プロアマ、上手下手関係なく、自己紹介の時に I am an artist/pianist/violinist.という風に、名乗っても全然恥ずかしいことはない。これは芸術分野に限った話ではなく、自己紹介で"swimmer"(=水泳をする人)、"soccer player"(サッカーをする人), "marathon runner"(=マラソンをする人)など名乗れたりする。

少しでも「芸術」をしている人は、今日から「アーティスト」と名乗ってみよう!
 


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