見出し画像

「バナナストローの12月〜私の医療事故④留置・退院」

深夜0時。大病院の入院棟。
誰もいない食堂に、ひとつの灯りがともっている。

本来なら食事を病室から持って来て食べることが可能だったが、
感染拡大防止のため食堂としての使用は禁止され、休憩スペースとして供されている場所だ。そこで私は電話をかけていた。病室での電話は禁止されているのだ。

6時間前、僕は「手術の中止、ミスによる尿道の損傷、入院の延長、退院後のカテーテル留置」という、一項目でも受け入れがたい事実を連打され、KO寸前のボクサーのように打ちひしがれ膝をついた。

が、その状態を儚み、悔やんでいても何も状況は変わらない。

次の瞬間、トラブルに遭った時にすべき三つの事が思い浮かんだ。

①状況を冷静に正確に把握する事
②自分の身に起きている事と、何がリスクなのかを理解すること
③相手に対して何を要求し、論点とするのかをなるべく多くの客観的意見を聞きながらリードタイムも含めて策定すること

これらを順序立てて考えるしかない。

まず、いま自分が尿道を損傷され、出血が続いていることは、どう考えても即時に改善する事はない事実である。PCがバグったり、機器が壊れたのを修理するのとは訳が違う。人体なのだ。

まず、この事実を受け入れ、何を要求し、何を諦めるか?を策定する。
大きく分けて病院に対して、

A:自分の体のことについての要求
B:事務的な要求

の2通りの要求が存在する事がわかる。身体はすぐには修復されない。そして、月曜日からは仕事が待っている。その事を踏まえて以下の2点を論点とすることに決めた。

1:尿道カテーテルの抜去を、12月28日までに(公共機関の仕事納めがその日であるため)に実施してもらう。

2:今回、不整脈の手術を1ミリもしておらず、逆に尿道を傷つけられている。本来なら、損害賠償、遺書料請求事案。よって今回の入院にかかる費用、および泌尿器の治療費に関しては一銭も払う気は無い。病院でもってもらう。

つまり、マイナスをゼロにする要求に舵を切ったのである。他にもいろんな賠償的な要求を考えはしたし、ネットで調べたりもしたが、繰り返すが、一般人は入院を要するような事案の医療知識がほぼゼロだ。それを短時間で補完するのは困難であると思われた。

考えをまとめていると、若い担当医がやって来て、私の採尿の管とバッグを確認して言った。

「具合はいかがですか…、お、血尿はでていないようですね、ひとまずよかった」

血尿が出ていないのは膀胱が傷ついていなかったからに過ぎず(そうなっていたらさらに退院は絶望的であるが)、傷つけられた尿道を伝ってずっとアレから血は出続けている。何がよかったというのか。

僕は医師に、上記の1.2の要求と考えをストレートに伝えた。
もはや、口ごもったり、婉曲表現を使っている場合では無い。解釈のブレのないよう、正確に耳に入るように目を見て話した。すでに信頼関係は崩壊している。これは患者と医師の会話ではない。交渉者同士の折衝である。

「お考え、承りました。カテーテル抜去に関しては、1月6日に予約を取っておきましたが、もっと早く抜きたいという事ですよね?」

「なんで1月6日なのでしょうか?」

「年末年始は、病院がお休みで6日から外来が始まるもので…年内だと泌尿器科のスケジュールが空いてるかな?ちょっと確認させていただきたく…」

なんだというんだ、ふざけてるのか。病院のミスでこうなったのに、病院の都合に合わせろというのか。

「すいません、僕、先ほど年内の旅行や友人との約束を全てキャンセルしたんですよ。これ、どなたのせいですか?尿道損傷時に、ある程度のカテーテル留置が必要不可欠なのは理解しましたが、さっき調べたら最低1週間から10日の留置期間があればOKとしている病院もあります。速やかに泌尿器科に確認してもらえますか?」

担当医が立ち去ると、僕はその時点においても、そして今の今まで一度も顔を出してこない、そもそもこの治療の発端であり、手術を勧めた主治医に同一内容の要求メールを送った。

そして続けて3人の知人と連絡を取り始めた。その3人とは、

○知人の看護師(病院勤務)

○大病院の院長の知り合いを持つ友人

○親戚の医療従事者(病院勤務)

である。この3人に協力を依頼し、現在自分が認識している事実と病院側の説明に齟齬がないか、そしてこれから自分が要求しようとしている事が妥当なものであるか、をまさにセカンドオピニオンとして判断してもらったのである。

まず、知人の看護師からは、

「うわ、不整脈カテで入院して、手術前の尿カテで損傷したの?中止?そんな事起こるんだ…。私の周りでは聞いた事ないよ。それ、よっぽど若い未経験の看護師がやったんじゃない?うちの場合、医師が立ち会って入れてるけどね…。血が出ているのは不安だと思うけど、治るから大丈夫よ。お金のことはなんとも言えないけど、とりあえず要求する事はしないと、丸め込まれるよ」

というメッセージがきた。こういった同じ環境下で働いている人の客観的なアドバイスはとてもありがたかった。やはり滅多に起きない事案のようだ。もちろん、この意見をタテにまた何かを要求する、という意図ではない。とにかく、状況判断の材料を集めなければならない。

さらに友人からは、

「ちょうど、用事があったので知り合いの○○病院の院長に聞いてみたよ。『ありえないミスだ、そんなの金払わんでいい』と言っていた。ただ、尿道系はトラブルが起きやすい場所ではあるらしい。その病院がいやなら、ウチで面倒みますよだってさ。災難だと思うけど、また聞きたいことや進展あったら連絡くれ」

と返答がきた。やはりこれは希少なケースなのだろう。

そして、最後の親戚の医療従事者。
彼は、ちゃんと話したい、と言ってくれて夜勤中にも関わらず時間を取ってくれた。それが冒頭の深夜0時の病院食堂での電話であった。

「もしもし、○○です。カッちゃん、事情、聞きました。大変だったね…。いま、体調はどんな感じですか?」

事前に整理して文章で送っておいたが、あらためて僕はこれまでの経緯と、現在の体調、そしてこれから病院に要求すべきと考えていることを順序立てて丁寧に伝えた。

「なるほど…。これは俺の見解だけど、まず滅多に起きない事故だけど、起きても不思議のないミスだとは思う。結局、医療って人間がやることだからね。カッちゃんの身体が一番大事だから、それを前提に話すと、カテーテルを抜く、抜かないって判断は病院に任せるしかないと思う。無理に抜いて、病変や後遺症が残る方が取り返しがつかないから。予定とか仕事とかに影響が出て、腹立たしいのはわかるけど体調と回復をとにかく優先して。ただ、お金に関しては『今回、こんな状況になったのにお金をそのまま払うのはおかしいと思います』という主張をするのは間違っていない、当然だと思う。でも、声を荒げたり、喧嘩腰になっても病院側が態度を硬化させるだけだから控えたほうがいいかな。生々しい話だけど、例えば医療訴訟を起こしても、よほどの病院側の患者の命に関わるような過失が認められない限り、裁判では勝てないんだよ。医療はやはり守られているから。客観的にみて、仮に今回のことで裁判を起こして勝てても時間と費用を考えると得策では無いと思う」

「そうか…ありがとう。でも大体、僕が認識した通りの状況であり、それを後押ししてくれる意見だった。助かったよ。しかし、医療って怖いね」

「そう、医療ってね、怖いんだよ。俺も現場で働いていて思うもん。トラブルは起こる、起こってしまうんだよ。でも、悪意があってそこで働いているわけじゃないからね。結局。人間のやることだから」

人間のやることだから…。

それは重い言葉だった。ヒューマンエラーはいつでも、誰にでも起こり得る。いま、僕にたまたまそれが降りかかっただけなのか。「安全な手術」と病院や医師の言葉を信じて入院した。そこに潜んでいたルーレットのような人為的ミスをたまたま引き当ててしまったというのか。

電話を切り、ふっと息を吐いた。時間はもうすぐ深夜の1時。真っ暗な食堂で、パソコンを開く。画面を凝視しながら、キーを叩く。

深夜3時ごろ、すべての原稿チェックを終え、送信ボタンを押す。

「つながるための言葉」はその時完成した。

まさか、こんなフィナーレを迎える事になるとは…。

画像1

土曜日は医療機関は、基本的に一部外来を除いて休日となる。そして僕は病院内で傷を負い、手術が中止され、退院の予定が立っていない特異な患者だ。ずっと点滴と採尿バッグをぶら下げたまま、どこにも行けずにベッドに横たわったその2日間はとてつもなく苦痛なものだった。

ただ、事態の好転はあった。まず土曜の朝に、泌尿器科の医師が病室に現れた。また別の女性医師だ。

「うん。血尿は出ていないですね。このまま行けば月曜に退院できるのではないかと思います。カテーテルの抜去についてですが、12月27日に予約をお取り出来ました。本来、2.3週間程度の留置が推奨されますが、回復が順調なら最短で10日程度で抜くことができると思います。そこは勝浦さんにかかっています」

「僕にかかっている?と、言いますと?」

「あ、要は退院後のカテーテル留置期間は、とにかく安静に過ごしていただく、これに尽きます。尿道が修復されていっているわけですから、激しい運動やアルコール、入浴などを避けていただく事になります」

時計がなかなか進まない。時間が遅々と過ぎていく。食欲もだんだん無くなってきた。相変わらず、カテーテルを差し込まれたアレからの出血は続いていた。下腹部に鈍痛はあるし、アレに痛みも少しある。なんとか退院出来たとして、僕はこの管をつないだまま、尿バッグを持って行動するのだろうか。仕事はほとんどリモートだとしても月曜日に競合前夜のリアル打ち合わせが控えている。そこに尿バッグと共にチームのみんなの前に登場する…?まるで現実感のない、悪夢のような想像だった。

翌日曜は病院は完全休日となり、静かな空気に包まれる。
食欲もなく、読書などのアクテビティをやる気もないが、その日はM−1グランプリの日だった。本来なら、予定通り退院して晴れやかに自宅で観る予定だった番組だ。テレビカードを購入し、敗者復活戦から本戦まで、病室の椅子に座って観戦した。もちろん、イヤホンで聞いているが、漫才師たちの研ぎ澄まされた身体言語につい笑いが漏れる。慌てて、向かいの病室の顔の見えない患者に、

「すいません、向かいの勝浦です。笑い声がうるさいかもしれませんが、極力静かにしますのでー」

と言いに行くと、

「あ、お構いなくー」

との返事が返ってきた。それは事故からようやく、気持ちが軽くなれたひと時だった。医学的にもよく言われる「笑いの効能」というものが少しわかった気がした。

観ている最中に、若い担当医がやってきた。

「明日、退院になると思われますが、今回の顛末について、病院スタッフと勝浦さんとで話し合いといいますか、意識合わせを行いたいんですね。お時間いただいて、午前中に病棟内の会議室でお願いしてもよろしいでしょうか?」

ああ、あのドラマで医療事故が起きた時によくやっているカンファレンスみたいなのをやるんだな。なら、再度、主張すべきことを整理しておかないと。やれやれ…。
僕は表情なく頷いた。

ついに月曜日の朝である。

朝、泌尿器科のチェックを受けて退院のゴーサインが出た。まずは前進だ。

そして言われていた通り、点滴と採尿バッグをキャスターにぶら下げたまま会議室へ案内された。そこには、若い担当医、その部下の医師、看護婦長、看護師、患者対応の事務センター員(おそらく金銭的なものを担当)が控えていた。ちなみに会議室にいた看護師は、ミスをおかした本人ではない。本人は損傷後も一度も私の前に現れることはなかったし、よって謝罪をする事もなかった。おそらく、というか確実に医療訴訟対策だろう。ミスした本人を患者に会わせたら何を口走って、病院に不利になることをしでかすかわからない。だから、ミスした看護師がもう出てこない事は予測していたし、それは当たっていた。

担当医師が口を開いた、
「お時間をいただいてありがとうございます。今回、申し訳ない事に手術が中止となったわけですが、今、勝浦さんはこの状況をどう理解されていますか?可能であればお聞かせ願えますか?」

この口火の切り方を聞いて、やはりそういう誘導をするのだな、と思った。僕は自分で言うのもなんだが日常的に「人に要点を絞って何かを説明すること」を生業にしている。だから、事前に整理して簡潔に自分が思う状況と、二つの要求を説明することができた。だが、普通の人はどうだろう?もっと言えば、病気で弱った人、お年寄り、そもそも心の弱い人…。そんな人がこんな大人数に囲まれて、冷静かつ正確に要求を話せるだろうか。

「丸め込まれちゃダメよ」

知人の看護師はそう言った。まさに、それは同業者としてリアルに感じてきた忠告だったのだろう。
僕は再度、

①これは医療ミスであり、本来なら賠償金を請求すべき事案である事

②今回の尿道損傷にかかる費用はすべてゼロにしてほしい事

③尿道の回復を待って速やかに不整脈の治療をして欲しい事

④担当看護師を責める気はもはやない、使用者責任だと考えている事

⑤余談だが、病棟の看護師さんたちのホスピタリティは素晴らしく、寄り添っていただいて、感謝している事

を訥々と告げた。担当医の反応は、

「ありがとうございます。ご要望をハッキリ言っていただけるのは非常に助かります」

と、木で鼻をくくったような物言いだった。あくまで、謝罪はしないようだ。彼はそういう役割であり、病院の「機能」なのだ。ただ、看護師への謝辞を告げているとき、看護婦長は頭を何度も僕に下げていた。結局、現場の人間はいつだって精一杯やっているのだ。

「27日ですが、予約をお取りしていますのでこちらの予約票をお持ちください。診察券を機械に通せばそのまま泌尿器科に行けるようにしておきます」

担当医から予約票を受け取ると、押し黙っていた会計担当の男性が口を開いた、

「現状、費用に関しては保留とさせていただきます。確定次第、ご連絡いたしますので…」

保留…?まだそんな事を言っているのか。

「では、27日に通院した時に、費用は会計で払わなくていいですね?こちらの病院では必ず会計を通らないと帰れないようになっていますが、そこで窓口に連絡がいってないなんてやめてくださいよ」

僕が強めに話すと、男性はもう一人いた会計担当と思しき女性と顔を見合わせてボソボソ話すと、

「承知しました。そのままお帰りになれるよう、手配しておきますので…」

と僕に告げた。のちにその言葉はあっさり裏切られる事になる。
会議が終わり、病室で退院準備となった。着替えて荷物を整理する。
それ自体はすぐ終わった(だいたい3泊4日程度の私物しかないのだ)。

が、ここからが肝心である。点滴は外れたが、僕のアレには尿道カテーテルが刺さっているのだ。看護師から、退院後のレクチャーが始まった。

「すいません、こちらを下の売店で購入してきてもらえますか?」

なに、何を購入だって?渡された紙には「DIBキャップ」とある。

「なんですか?これ?」

「これは尿道カテーテルに蓋をするキャップです。今は採尿バッグのチューブとカテーテルを連結してつないでいますが、日中はこれでカテーテルに蓋をして自由に行動していただき、尿意が来る、もしくは一定時間が来たらこの蓋をあけて尿を捨ててもらいます。ただし、夜は採尿バッグをつないでいただきます。夜はとにかく寝ている間に尿が溜まるのでキャップでは対応できません。では購入していただいたら、装着の方法をおトイレでレクチャーしますね。尿道口からの出血はカテーテルが擦れてしばらく出ますが、いずれ止まると思います」

え?そうなのか。自由に行動できるのか。日中このバッグを持ち歩かなくていいのか。ちょっと気持ちが明るくなった。かくして、小さなプラスチック製のキャップを千いくらで買わされた僕は、カテーテルを挿入したまま退院し、娑婆に出た。

病院の出口を通った瞬間は、カテーテルの違和感よりも、とにかく外に出られた開放感が勝っており、清々しい気分で駅への道を歩いた。

やがて、10分程度しか離れていない駅が近づいた頃、下腹部の鈍痛、不快感と、今まで味わった事のない刺すような尿意を感じて、慌てて駅のトイレに駆け込んだ。

「な、なんだこれ…気分が悪い…」

油汗が滲む。鈍痛と残尿感が消えない。まだ出血もしている。自由に行動できるはずでは…。

かくして、近年稀にみる最悪の年の、最悪の1週間が幕を開けたのである。

<つづく>

*このコラムは実体験及びそれによって得た情報によって書かれていますが、医療知識の正確性を保証するものではありません。
また特定の医療機関や個人を糾弾したり、何らかの主張、要求を目的として書かれているものではありません。
すべての医療従事者に対して、尊敬と感謝の念を抱いております。

「つながるための言葉〜伝わらないは当たり前」1月19日発売。
Amazonもしくは、お近くの書店でご予約いただけると嬉しいです。


サポートしていただいたら、そのぶん誰かをサポートします。