見出し画像

かつおぶしの缶詰#1

5月公演の振り返り


この公演が実験なら、目的→実行→結果→考察のプロセスは欠かすことができない。5月公演の思い出が色褪せきってしまわないうちに、5月公演で掲げたマニュフェストの達成度とその結果、5月公演の功罪について共有しておきたいと思う。また、このように実験結果を言語化し、参照可能な形でアーカイブしていくことは、5月に得られたことを10月の本公演に活かしていくために欠かせない作業であると思う。

5月公演で成したかったこと
①駒場演劇の保守性・内向性を打ち破る
②スタッフワークのクリエイティビティが作品に寄与する割合を広げる
③より良い会話劇の探求
詳しくはこちらのnoteをどうぞ
https://note.com/katsu_para/n/na90307495c28

①・②

①②はかなり達成できたと思う。
これは何度でも言うがもう100%参加してくれたスタッフさんと役者の留奈のおかげである。(最終的には駒場演劇界隈という枠組みを解体し、様々なクリエイターを巻き込んだかつパラ界隈を柔軟に形成、また拡大したい。)
ただ、そう言った人たちのクリエイティビティを引き出す演出的な仕組み作りや、主宰的な組織づくりに多くの問題があったと思う。例えば撮影班の責任の所在を曖昧にしてしまったが故に、当日はかなりバタバタしてしまった。こういった反省は7月公演で具体的に対策を立て、解決を試みるというプロセスを踏もうと思う。それが実験で多くの新しいことを試みる意義である。
※また、撮影の手法は多くの演劇団体が知りたいところであると思うし同じ失敗を繰り返すのは無駄なので、今回の手探りで得た知見を後日まとめ、共有しようと考えている。

また、そういった新しく駒場演劇に参入してくれた人たちが、たくさんの新しい客層を呼び込んでくれた。これは当団体はもちろん、演劇全体の利益にとって本当に嬉しいことだ。そういうお客さんからの感想をWSで聴けるのは大変興味深かった。これは岩下が指摘していたことだが、劇を普段みないというお客さんの方がむしろよりよく発言し、しかも多くの的確な指摘をくれたという。

私は駒場演劇によくある、感想を言うことに対する自意識に強い問題意識を感じている。思考の浅はかさを悟られないために、何も言わないとか、アンケートの内容ではなく書き手によって読む比重を変えるとか、そういうプレッシャーから感想を曖昧な言葉でしか言語化しないとか、もううんざりである。より良い鑑賞のために全く生産的な態度ではないし、そういうプライドはかなりダサいと思う。そのような考え方が劇場や美術館から多くの人々を遠ざけるのだ。
今回演劇をあまりみないお客さんが積極的に素晴らしい感想を交換してくれたことは、この現状に一石を投じたと考えている。これは、WSの一つの大きな功績と言えるだろう。

この劇に役者の二人が持ち込んでくれたものは本当に大きい。しかし、演技態が大きく異なる二人の会話を成立させるのが、私の演出としての至らなさにより、大変難しかった。今回のこの劇の前半部分では、濃密な会話劇(すなわちハイコンテキストとノイズが堪らん会話劇)とその探求を実践したかったのだが、そのスタートラインに立つことすら苦労した。説明可能な演出としての引き出しを増やしていく。


以下余談・主宰としての所感
劇団かつおぶしパラダイスという劇団は、文字通り「方向性の違い」で解散してもいいくらい、異なった劇作の価値観や好みを持った二人が主宰を務めている。シンプルに仲は悪いし、お互いを認めリスペクトし合うといったような理想的な創作仲間であるのかどうかすら怪しい。
しかし、そんな二人が、いい劇作という一つの目標だけをよすがに、辛うじて繋がることができている。これはむしろ大変尊いことだと私は思う。その他全てが反発するもの同士が、演劇の前では初めて共通言語で語らうことができる。それほどかつパラにとって創作が尊く大切な所業なのだということを再認識できたのは、全ての救いだった。むしろ、それさえあればいいのだ。
リスペクトや理解などという、最終的には馴れ合いにしか繋がらない関係は全くつまらない。そんなものはよりいい創作を産まない。これからは、一生戦って潰すくらいのつもりで私の方が正しかったのだと認めさせたいと思う。演出を初めてやったおかげか、そういった自立心が芽生えた。そして、この切磋琢磨(という爽やかな表現はむず痒いが)の先に、10月の本公演があるといいと思う。
(かつパラの会話vs身体という枠組みがこんなにラジカルなものになるとは思ってもみなかったなあ)

7月公演も誠意を込めて頑張ります。何卒、かつおぶしパラダイスを今後とも応援よろしくお願いします。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?