【44歳の独立記 Day 281 】
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元来「無言実行」の考えのもとで、公私ともにやってきましたが、
44歳を迎え起業することに。
そんな私の起業後のうまくいったこと、いかなかったこと、が今後スタートアップしたい方々の参考になればというのと、1年後、2年後の自身の振り返り題材にしたいと思って日々の出来事などをお届けしています。
共感できることがあったら「スキ」していただけると嬉しいです。
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【Project 100 vol.3:Think The Concept!】
「声を掛けてもらえるありがたさ」
20代半ばから30代半ばにかけての約10年間をベトナム(ホーチミン市)と中国(大連市)で過ごしていました。
これまでは比較的、プライベートであるサッカー仲間との交流が帰国後もメインでしたが、この日はともに仕事仲間との集まりにお声がけいただき、参加してきました。
先ずは大連の部から。
私が大連時代に勤務していたのは大手アメリカ企業で、人数も多かったこともあり、社内にサッカーチームがありました。
おそらくですが、当時のマネージャー(日本人)がサッカーをやっていたので、自分は採用されたと思います(笑)
この自分を採用してくれた方からお声がけいただき、今回球蹴りイベントに参加してきました。
中には10数年ぶりと言う方もいたり、とても楽しい時間を過ごせました。
そして、夜のホーチミンの部へ。
「Day262」で取り上げ、インタビューにも応じてもらった元同僚から数日前に連絡が有り、当時の学生が出張で日本に来ると言うことだったので、食事をすることに。
この学生は目立つタイプではありませんが、当時から勤勉で、真面目でコツコツやるタイプです。
この学生が黙っている時は、分からないというよりは、何かを自分の考えに落とし込む為に変換している時であることが多いので、過度に急かさずに待つようにもしていました。
今も通訳として、主に若いスタッフの研修などに帯同し、通訳として、或いは日本を知るお姉さん的な立場として活躍していて、やはり語学という一芸を持つ方は素晴らしいなと。
しかも、当時の学生は日本語よりも、中国語の方が得意です、英語の方が得意です、という人なども居て、今さらですが優秀な学生とともに過ごしていたんだなと。
余談ですが、政治家の孫、娘とか居たとかで、そんなの構わずにビシバシやっていた当時の自分がやや怖くもありました(笑)
この日会った大連の仲間もホーチミンの仲間も、次に会える機会がいつになるか分かりませんが、またの機会が楽しみです。
ぷちめも
・次に会うのはお互い何歳だろう??
19 days to go
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