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その「仕事が速い」、自己満足と承認欲求のためだけになっていないか?

僕は「仕事を速くする」を自分の超モットーにしている。もともとセッカチな性格だからもあるが、仕事を速くすればいい事だらけだからだ。仕事が速く、即レスポンスしてくれる人は、仕事ができる人と思われ、誰からも一緒に働きたいと思ってもらえるし、信頼もされる。仕事を速くすれば、効率もよく、その仕事から生み出される最終産物や成果の質も、時間をかけた場合よりも高くなることが多い。自分にとっても達成感を持て、気持ちがいいし、相手からも感謝されやすい。実際の貢献度も高くなるし、その分、評価も上がる。自然と余裕もでき、仕事が楽しくなり、さらに加速する。いい事ずくめだ。

ただし、チームで仲間と一緒にプロジェクトを進めている時、その「仕事が速い」が、「本当にチームのためになっているか?」「本当にプロジェクトのゴールに即しているのか?」を、しっかり立ち止まり俯瞰して考えなければならないと痛感している。情熱を持って働けば働くほど、逆にその熱い感情が、俯瞰することを忘れて、「仕事が速い」だけを突き進めてしまいがちだ。プロジェクトの目的に向かって行っているはずの仕事なのに、知らず知らずのうちに「仕事が速い」自体が目的にすり替わってしまっていることがある。そのことで、チームに不和を招いたり、誰かのメンツを傷つけたり、やる気を削いだら、プロジェクト全体にとっては貢献どころか、マイナスに働いてしまう。そんな失敗を何度も繰り返してきてしまった自分の戒めのために、どんな感情が、誤った「仕事が速い」に突き進めさせるかを考えてみた。

とっととケリを付けたいという自己満足

僕は、別の部署のジェリー(仮名)がリードしているプロジェクトに入り、自分の任務を遂行していた。ジェリーはとても有能なリーダーだった。意見がぶつかることもたくさんあったが、議論はいつも共通のゴールに向かっての有意義なものだったので、僕は彼と働くのがとても楽しかった。彼も僕も朝型人間で、早朝6時代からメールやビデオでやり取りしてプロジェクトをグイグイ進めるのを楽しんでいた。ある日の早朝、ジェリーと僕のやり取りだけで、重要な決定事項を決め、次のステップに進んだ。決定事項は理路整然としており、これでチームの仲間が仕事を開始する9時からすぐに次のステップに取りかかれることができた。ただし、困ったことに、その決定事項に最も関わるのは、ジェリーの部署でも僕の部署でもなかった。プロジェクトの別のメンバー、アリーの部署だった。アリーが朝9時に仕事を開始してみると、ジェリーと僕でアリーの部署の重要項目を勝手に決定し、次のステップに進んでしまっていたのだ。アリーも決定事項には賛成してくれたので、プロジェクト自体には問題がなかった。でも、当事者のいないところで、勝手に重要な決定事項を決め、次のステップまで進められたアリーとしては、面子を潰され、とても気分が悪かっただろう。

自分の存在・能力を示すための承認欲求

僕が関与する新薬のプロジェクトは、様々な部署がパラレルで様々な仕事を行い、それでもってプロジェクト全体も進められる。1つの部署だけが極端に早く仕事を完了しても、プロジェクト全体が速く進められるわけではない。単に、自分の部署だけが速く完了し、それを他部署に見せつけて、気持ち良くなりたいだけになっていないか?要注意だ。もし、自分に余裕があって、仕事を早く完了できるのであれば、それはそれで素晴らしいが、プロジェクトにとってその早さが必要ないのであれば、自分の中だけで完了しておいて、周りの仲間には誇示しないほうが、プロジェクト全体のためになる場合もある。

プロジェクトに関することではメールの即レスポンスも心がけているが、複数名宛に質問が投げかけられている時、自分が最も適した当事者でないにも関わらず、即レスポンスしてしまうことがある。プロジェクトを順調に進めたいためだが、レスポンスしてしまう前に、その背後に自分の承認欲求を満たしたいためという感情が入っていないか?立ち止まりたいと思う。自分の即レスポンスのせいで、誰かの仕事や貴重な存在感を示す機会を奪ってしまっていないか?誰かのメンツを潰していないか?

腹いせのため

新薬のプロジェクトでは、次のステップに進めるかどうかを決定するためにたくさんのデータを出さなければならない。本来は、そのデータをレポートという最終産物にまとめて完了だ。ところが、忙しくて余裕が無いと、データを出すところまで行ったら、そこで放置し、それをレポートにする前に、別の仕事に移ってしまう。結果、最終産物のレポートではなく、データだけの状態で放置される。担当者に聞くと、「とりあえずデータを出すことが重要だ。時間ができた時にレポートを書く」と言う。しかし、実際にはプロジェクトはどんどん回るので、「時間ができた時」は永遠に起こらない。データを出した後、長期間寝かして、申請前に慌ててレポートを書こうとすると、記憶を掘り起こすのに余分なエネルギーがかかり、めっちゃ効率が悪くなる。僕はこの悪循環を打破するために、レポートテンプレートを可能な限り簡素化して、データ出しからレポート完了まで一気に進める活動を推し進めた。自分の担当する仕事に関わる自分の部署以外にも少々強引に推し進めた。結果、積み残しレポートはなくなり、晴れて借金ゼロとなり気持ちはスッキリした。強引に進めた中には少々「腹いせ」の感情が入っていた。今のところ周りの仲間も同じようにスッキリしたと感謝してくれている。でも、今後、またレポート滞納が再び起こるようなら、僕の活動は、大きな意義があるものではなく、「仕事が遅い」に対する、単なる利己的な腹いせ活動だけということになるかもしれない。

その「仕事が速い」、自己満足と承認欲求のためだけになっていないか?

先先に仕事を進めることは素晴らしいし、気持ちのいいことだけど、ちょっと立ち止まって、その「仕事が速い」が、利己的なもになっていないか? 自己満足のためだけになっていないか? 自分の承認欲求を満たすためだけになっていないか? ましては、腹いせのためになっていないか?を考えなければならない。本当の目的に合っているか? 長期的に見て好影響をもたらすことになっているか?、調子にのっている時ほど、俯瞰して考えなければならないと自分の戒めとしている。

謙虚を装って自分への戒めとしているが、このNoteに投稿していること自体が承認欲求を満たそうとしているということでもある。仏様ではないので、自己満足や承認欲求を完全に取り去る仏の心を持つことは無理だが、意識するかどうかで大きな違いを生むと信じている。





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