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会社の決定事項を土壇場で覆すことはどこまで許されるのか? アメリカでの転職

試験問題の選択肢とは異なり、ビジネスの世界での決定事項の選択肢には、完全な正解と間違いがあるわけではありません。多くの場合で、どの選択肢にも、よいところ、弱いところがあり、その中から最善と思われるものを選ぶことになるでしょう。そのプロジェクトチーム全体でとことん話し合って決めるで場合もあれば、リーダーや該当部門の責任者が、他者の意見も踏まえてひとりで責任を持って決める場合もあるでしょう。たとえ自分の意見が通らなかったとしても、最終決定事項がルールに則ってきちんと行われたものであるのなら、潔くそれに従い、その決定事項の成功に向けて自分の任務を全うすべきでしょう。自分の意見が通らなかったことにふてくされて自分の任務を怠り、プロジェクトの進行に協力しなかったり、結果的にその決定事項がうまく行かなかった場合に、後になって自分の意見が通らなかったことを持ち出して、「それ見たことか!」などと批判する行為は、チームワークを乱して、周りからも人望を失うことになるでしょう。

それでは、転職して新たな会社に入り、自分が入る前にすでに決定されたプロジェクトの方針に、自分が全く賛成できない場合は、どこまで異議申し立てすることが許されるのでしょう?

僕はアメリカの製薬企業で働く日本人研究者です。10年間働いたアメリカ大手製薬会社から、スタートアップの小さな製薬会社に2か月前に転職しました。僕がこの新たな会社に入る前は、僕の専門分野である非臨床安全性研究(トキシコロジー)を専門に担当する者はひとりもおらず、外部のコンサルタントに頼っていました。僕の専門部署を、会社の成長とともに今後拡げていこうとワクワクして転職した訳です。各部署にも、有数の製薬会社や研究機関から転職してきた「くせ者」研究者の仲間たちがたくさんいて、毎日楽しく激しく働いています。

ある日、僕の部署で行う新たな試験計画リストの中に、とても違和感を持つ試験が入っていることに気づきました。「この試験は、ガイドラインでは推奨されていないし、この試験を行った結果出てくるデータは、プロジェクトに役立つどころか、解釈に困り、逆にプロジェクトの推進に悪影響を及ぼすものになりかねないのではないか?」と思いました。僕の過去の経験だけから考えると、「やるべきではない」に分類される試験でした。しかし、周りに聞いてみると、この試験計画はすでに1年近く議論された上でようやく決まったもので、すでに誰もが賛成しているということでした。かなり大規模で高額な試験です。いくら僕の部署で行うものであっても、自分の過去の経験からのみの判断に基づき、勝手に乱暴に覆せるものではありません。しかも転職したばかりの会社です。これまでの成熟した大企業ではなく、スタートアップの未熟な中小企業です。会社文化も、人間関係も、意思決定プロセスも異なります。

以前の記事に書いたように、転職後最初の90日間を、プロジェクトだけに没頭するのではなく、会社文化・人間関係・意思決定プロセスなどにも注意して計画的に過ごし、この転職を大成功に導こうとしていたので、この違和感を持った試験計画についても慎重に取り扱っていこうと決めました。まず、僕が入る前に計画を立ててくれていた別の部署の部門長などの話を聴き、背景をしっかり理解しようとしました。「非常に特殊な試験で、通常はやらないことは分かっている。しかし、臨床の部門からの強い要望があって、この試験を行うことに至った。この試験を行った結果が、プロジェクトに大きなインパクトを与える可能性も分かっているが、皆がそのリスクを踏まえた上でこの試験計画を支持している」とのことでした。一通り僕なりの調査を終えて、試験計画は、会社のルールに基づいてしっかり決められたものと解釈できました。すでに計画は進んでいます。僕は転職して会社に入ってきたばかりです。僕の「この試験は本当はやるべきではない」という意見とは、真っ向から対立するけど、すでに決まった試験計画だから、この試験が可能な限り成功に導けるよう、自分の任務を全力で遂行しようと気持ちを改めました。そしてさらに試験計画を煮詰めていき、あと数週間で開始するところまで進めました。

しかし、今週になって突然、臨床部門のバイスプレジデントのひとりから連絡が入り、僕はびっくりしました。彼女からは「この試験計画について知らなかったけど、あなたの意見を教えてください」と耳を疑う言葉が入ってきたのです。僕は「あなたの部署、臨床部門の強い要望でこの試験を計画したと聞きましたが、そうではなかったということですか?」と確認しました。しかし、この時点で、僕は「意思決定はルールに従ってしっかり行われ、誰もが支持している」と判断した僕の調査がぜんぜん不十分だった。甘かったと気づかされました。臨床部門が一丸となって要望を出したわけではなく、一部の人間が出した要望が、部門全体の要望と誤解されてしまったミスコミュニケーションだったのです。

さらに彼女は聞いてきました。「これまでの経緯などはすべて忘れて白紙の状態だとしたら、あなたはこの試験計画を提案しますか?」 そう聞かれると、僕の答えは、「絶対に提案しません。ガイドラインでも推奨されていませんし、この試験計画から予想される結果は、プロジェクトに必要なものではないし、逆に混乱を招くリスクがあるからです」というものでした。その後、会社のトップのエグゼクティブコミッティに持ち掛けて、試験の中止を提案することになりました。

僕は、「転職したばかりだから慎重に進める」「すでにルールに従って決められた決定事項なのだから、潔くそれに従い、試験計画の成功にむけて全力を尽くす」などと言い訳をしながら、自分の意見をもっと強く主張することをためらってしまっていたのかもしれない、臆病になっていたのかもしれないと思えました。

もちろん、アメリカでも、ルールに則って決められた決定事項には、たとえ自分の意見とは異なっても、潔く全力で自分の任務を全うしていかなければなりません。この基本ルールはまったく日本と変わりませんが、決定事項を覆すことのできる寛容さは、日本とは比べものにならないくらい大きいと再度痛感させられました。過去の経緯にまどわされず、現時点でそれがよくないのであれば、どんな決定事項であってもフレキシブルに覆してよいというのが、結果重視のアメリカ企業文化の素晴らしいところなのでしょうか。

僕が弱腰のアプローチをとったため試験は、もう少しで始動するところまでずるずるいってしまっていましたが、すんでのところで中止することができたのです。いったん決定したものを覆すことには、躊躇しがちになってしまう日本人基質が僕の中で働いてしまったのかな。多くの人がまずい、止めるべきと思いながら、誰も決定事項を覆せずに突入していった太平洋戦争と結びつけて考えてしまいました。まだまだアメリカ企業での修行が足りないと感じた転職第9週目でした。




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