走り書き読書記録
久々に読んだ小説が面白くて、じっくり読んでいたら一週間ほどかかって読み終わりました。『その日、朱音は空を飛んだ』(幻冬社)という本です。
感想をメモしつつ、noteで文章にすることで根強く脳にインプットされると思い、こっそり感想を書きます。ネタバレするかもです。
そもそも僕は小説はあまり読みなれていませんので、的外れな解釈をするかもですが個人的見解であることをゴリョウショー願います。
出会い
僕が本屋に出向いた理由は、小説が読みたかったからです。本自体は2018年11月に出版されて、僕はすぐ買いました。
ところが僕は飽き性&勿体ぶりグセがあるために、数ページ読んで積読していました。まるで計画性がなく「明日自分は読んでいるだろう」と軽く見ていました。
小説が読みたかった理由は、言葉と感情を知りたかったからです。言葉というのは “対象プラス意味” で構成されています。その意味の部分を知識として持っていたかったのです。あるいは、現実的に多くの場面に遭遇した時の人が持ちうる複雑な感情を細かく解析、表現する術を勉強したかったからです。
本を読まずに生きていると、感情をうまく処理できずに生きていくことになる気がします。複雑な感情をないがしろにしたまま、感情の経路を理解せず、自分をよくわからないまま生きていることはつまらないと思ったのです。
で、
この『その日、朱音は空を飛んだ』(幻冬社)という本、選んだのはタイトルと導入文に惹かれたからです。
タイトルにもあるように、プロローグでいきなり女子高生が自殺するところから始まります。ショッキング。
ここで、その事件を目撃したその子の親友の描写が、立ち読みしていた僕には重く、リアリティのあるように感じられました。
あと、読みやすい文体な気がしたからです。
構成
一つの事象があった時、考察は多様です。女子高生が学校で飛び降り自殺をしたなら、未熟な高校生たちの考察は明確に多様になるはずです。
この本の構成は、一つの視点ごとに章が組まれています。すると、背景や人格が異なれば、思考の模様と過程も他者多様であることがよくわかります。
「気の持ちよう」という使い古された励ましの言葉あるかと思います。僕が言われるといつも「“その”気の持ちようは、僕にはできないなあ。」と思います。「気の持ちよう」による処理可能対象は、人によって違うことをいつも考えるのです。それを、この本を読みながら思い出していました。
避けたい願望と現実の交差
なりたくないものへの反発は、若い頃であれば反抗期として見なされ、大抵の場合はそれとなく処理されます。単なる短い過ちであると大人はみなすことは、学校ではよく見られる光景かと思われます。
この本は高校生たちが主人公です。多感だと思われる主人公たちは、常に現実との葛藤の中にいます。
この本の中では、無意識に大人に近づく子どもの描写が各章にあります。大人とは子どもの対立概念で、子どもからすれば “なりたくないもの” で “反発するもの” です。大人になるという意味も人によって異なりますが、共通するのが “妥協” という概念だと思います。現実に起こる問題に心が削がれ、消耗することにより、何かしらに妥協をして折り合いをつける選択肢をとる。
結果としては作為的に現実は歪められ、安全圏での保身がアイデンティティを作ることになります。
クラスメイトが自殺したという現実に対し、もともと歪んだ感情取り巻く学校という環境で、心の傷や不都合な事実を隠すべく奔走する高校生。
子どもが大人になる瞬間は、見ていてあまり気持ちのいいものではないと感じました。
勉強になったとこ
ある場面に遭遇した時に、ある感情を基にして行動を起こす。という過程は読んでいて勉強になりました。
なぜそういう行動をするんだろう?
自分がそこにいたらどのように行動を起こせばいいんだろう?
ということをずっと考えているとあたかも自分の経験が一つ増えたような気がしました。経験を重ねることは成長したということで、ありたい自分を考え、近づくためにとても価値あることのように思えました。
現場感を得るとともに、感情移入の練習にもなりました。感情移入は物語を楽しむために重要であるし、現実においても熱をうむために必要な技術です。
感情移入は感情を知らなければできようがありません。その意味でも小説は読む価値アリです。
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「気の持ちよう」は読書によって大きく影響されることがよくわかりました。たとえ理解できない感情を持つ主人公がいたとしても、対立する自分の考えがさらに際立つと考えることができたら、それはとても価値のある情報ではないでしょうか。
「読むプラス考える」をクセにして読書していきたいもんです。
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