見出し画像

MMTへの誤解を解く その10 貨幣観とは

国民の「富」は、
政府の「国庫」にあるのではない。
「富」は政府にではなく、国民の側にある。
「財源」は政府にではなく、国民の側にある。

そして、その「富」を国民の間で交換し合う
ツール(信号)として通貨が活躍している。

だとすれば、通貨について学ぶ場合、
最も肝心なことは、
国債がどうの、日銀当座預金がどうの、
国家財政のバランスシートがどうの、
といった
政府日銀側のシステムの話ではなく、
政府側の手続きの話でもなく、

実は、

通貨は市井でどのような役割を演じているのか
通貨は市井でどのように振る舞っているのか
国民が通貨をどのように扱っているのか
通貨が国民の「富」の源泉たる勤労と、
どのように関わっているのか、
といったことではないのか?

「貨幣観」について語る、というのは
本当は
そういうことではないのかと思う。

こういう方向から「通貨」というものを
理解していけば、
トリビア的な各論はともかく、
MMTの本筋は理解できるのではなかろうか。

そして、それを踏まえさえすれば、
これから先の未来の話・・・

国民にとっての在るべき通貨発行の在り方、
(たとえば、国債発行というプロセスは
 本当に必要か?
 日銀当座預金は本当に必要か?
 ・・・等々)
市中銀行の在り方も
自ずと決まるのではなかろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?