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【逆差別】京都大学が理学部と工学部で「女子枠」新設に思うこと【男女平等】

京都大学は21日、2026年度に入学する学生の試験から、理学部と工学部で女性のみが出願できる枠を設けると発表しました。このところ、理工系学部のある大学が、入試に「女子枠」を設定するケースが増えています。

京大が理学部と工学部の入試に「女子枠」 2026年度の試験から新設 両学部で計98人の定員に対し39人の枠(ABCニュース) - Yahoo!ニュース

以下では、俺は上記の問題を提示する。上記の問題は女性専用車両やレディースデイと同じである。

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#男女平等
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平等でも公平でもない!

儒教系統の認識
 (1)女性枠は男女平等でも男女公平でもない。

女性枠は男女平等でも男女公平でもない。女性専用車両も男女平等でも男女公平でもない。そして、子殺しや誘拐の裁判における女割もまた男女平等でも男女公平でもない。俺はこの状態を悪いと判断する。

上記の女子枠の話は大学だけでなく、日本国のあらゆるところに観察される。は女性専用車両やレディースデイや女割もそうである。この状態は西欧的でなく、インドやインド人の本能丸出しの状態に似ていて、チン子丸出しマン子丸出しがひたすら肯定され続ける。日本人は西欧白人よりもアジア人に近い。

なぜ平等でも公平でもないの?

儒教系統の認識
 (1)大和民族は自分の社会を形成していない。

大和民族は自分の社会を形成していないので、彼らは平等でも公平でも何でもない状態を作る。なぜ平等や公平が必要になるのかというと、人間が自分の社会(運動競技)を作るからである。

例えば、俺らがサッカーのような運動競技を作るとき、俺らは公平や平等を必要とする。誰がハンドしても、レッドカードを平等に出さないといけない。そうでないと、サッカーという運動競技それ自体が壊れる。

大和民族の学者は自分の運動競技を形成していないので、彼らは平等でも公平でもない自分に都合の良いオナニーをひたすら実行し続ける。オナニーは本当に純粋な個人競技であるので、平等や公平は必要ない。ひとりで存分にやればよい。

実際、菊池誠は自分のデマは良いが、他人のデマを許せない。論文を10年書いていない教授と世界的な学者の給料がなぜか同じである。このような平等でも公平でもない状態が蔓延しているのが大学である。

なぜなら、彼らは自分の社会(競技)を形成していない。彼らは自分の社会を形成していないので、平等な状態や公平な状態をそもそも認識することができない。その結果、女子枠が生じる。




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