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心身二元論は正しいか?〜実体二元論と新儒教における三元論〜

【まとめ】
(1)肉体(物質)が存在する。
(2)意識(視界や感情や性欲)が存在する。
(2)意識を捉える主体が存在する。

1章 新儒教における三元論

【儒教系統の認識】
筆者は物質と意識と主体を認識する、または把握する。

つまり、彼は心身二元論でなく、物質と意識と主体の三元論を把握する。例えると、物質は車体であり、意識(例えば視界)は車体の中の立体映像、主体は立体映像を見る運転手である。

心身二元論では、人間は魂と肉体の2つからなっているらしい。この魂が何であるのかは不明である。一般的には、この魂は意識それ自体であるとぼんやりと捉えられているように思える。

しかし、筆者が自己をよく観察すると、彼が把握するのは、この意識には、視界と視界を捉える主体の2つが存在する。この時、彼は肉体と視界を含む意識、そして視界を捉える主体の3種類の何かを把握する。

2章 思考規範

2.1【儒教系統の思考規範】
もしある意識が存在するならば、その意識に対応する物質が存在する。

その物質を肉体と仮定する。時系列では、肉体が存在して、その後、その肉体に対応する視界が存在する。

日常的には、もし脳が存在するならば、意識が存在するとしたい。しかし、この思考規範では、睡眠中がその例外になる。なぜなら、睡眠中では、意識は存在しないが、脳が存在している可能性が高い。

2.2【儒教系統の思考規範】
もしある主体が存在するならば、その主体に対応する物質が存在する。

その物質を肉体と仮定する。時系列では、肉体が存在して、その後、その肉体に対応する主体が存在する。なお、意識と主体の順序は不明である。また、彼はその主体を自己と認識する。

3章 他者の主体に関する思考規範

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