なぜ日本国の情報技術産業(IT産業)は失敗したか?〜現場主義とは何か?〜
大和民族が日本企業に関する問題点を語るとき、彼らは現場主義についてしばしば言及してきた。上記でも、日本国における情報技術産業(IT産業)の遅れに関して、松井はボトムアップによる意思決定をあげた。このボトムアップが現場主義であるのかは不明である。
以下では、筆者は現場主義とは何であるのかを民族的な観点から提示するつもりである。筆者の認識では、大和民族の社会が西欧のような上意下達(トップダウン)でなく、下意上達(ボトムアップ)になるのは、民族性の結果であるように思える。
1章 定義
【定義】
現場主義は主義である、かつそこでは現場が意思決定の主体になる。
異なる定義では、現場主義は主義である、かつそこでは現場が統治者による意思決定に従わない。言い換えると、現場主義は主義である、かつそこでは現場が統治者による統治に従うつもりがない。
この現場には、医者や弁護士、学者や教師、官僚や公務員、技術者が存在する。つまり、現場主義は主義である、かつそこでは医者や弁護士、学者や教師、技術者が統治者による意思決定に従わない。
一方、統治者(政治家)や貴族や王族は現場でない。経営者も現場でないが、統治者(政治家)や貴族や王族から見ると、経営者も比較的には現場である。
サッカーのような運動競技で例えると、現場はリオネル・メッシのような競技者(選手)である。サッカーシステムの統治者や設計者は現場でない。サッカーチームの所有者も現場でない。
2章 現場主義の具体例
上記の発言が現場主義的である。牧野は「(統治者が)専門家のいうことをきかない」と述べたが、牧野が統治者の統治に従うべきである。彼ができるのは、科学的に正確な情報を統治者に提示することのみである。
彼は彼の統治者を選挙で選択しているのに、彼は統治者の統治に従うつもりがないように見える。逆に、彼は統治者の統治者に科学を悪用してなろうとしているように見える。筆者は「だったら、民主制をやる必要はないのではないか?」と感じる。
筆者の印象では、牧野は「お前らは好きにやれ。何かあったら、俺が責任を取ってやる。」と言って欲しいように思える。彼はたとえ彼が問題を起こしても、彼の指揮系統の上位や日本国の統治府(日本政府)が彼の行為の責任を取ってくれること暗に求めている。
上記の発言も非常に現場主義的である。筆者の認識では、Calciは関西人である。牧野は岐阜出身であるらしいが、彼も関西人的であるように思える。おそらく、上記の牧野も「科学者が従うのは科学的真実だけ。」と思っているように思える。
彼らは彼ら自身の統治者を民主制の下で選択しているのにも関わらず、彼らはその統治者による統治にそもそも従うつもりがないように思える。彼らは医学や科学を悪用して、科学や医学を統治の道具として、彼らは統治者の統治者(支配者)になろうとする。
これは民主制における契約違反である。その他にも、日本学術会議や大日本帝国における軍部が現場主義的であるように思える。現場主義は主義というよりも、大和民族に特有な統治ごっこ体制であるように思える。
3章 現場主義の弊害
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