自己と非自己に関する独特な思考規範〜新儒教における思考規範〜
1章 背景
【儒教系統の認識】
意識も主体も第三者視点では存在しない。
言い換えると、意識も主体も3人称視点では存在しない。しかし、人々は他人にも意識や主体が存在するだろうと感じている。なぜなら、彼らは自己を他者に投影している、かつ他者も脳を持っている。
もし機械体(ロボット)が世界を推論するならば、その機械体は意識や主体の存在を仮定しないだろう。なぜなら、機械体には、他者に投影する意識も主体も存在しない。そのため、彼らは投影による意識や主体の存在を推論することができない。
2章 把握
【儒教系統の認識】
1人称視点では存在するが、3人称視点では存在しない何かが存在する。
言い換えると、自己視点では存在するが、第三者視点では存在しない何かが存在する。自己視点は主観でも良い。何かには、意識や主体が存在する。筆者はこれを非常に特殊な一つの現象と認識する。
つまり、上記の投影をしない限り、意識は1人称視点では存在するが、3人称視点では存在しない。同様に、主体は1人称視点では存在するが、3人称視点では存在しない。
3章 投影
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