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俺ら(katotoorera)の政治信条〜民族に関する思考の規範(ロゴス)〜

 以下では、俺は民族に関する思考の規範(ロゴス)を提示する。日本列島の上の異人種や異民族は大和民族それ自体を嫌っているように見える。または、彼らは原住民それ自体を抹殺したいという無意識的な欲望を持っているように見える。

以下では、俺はこの種の悪意から自分自身の身を防御する思考の規範を提示するつもりである。下記の思考の規範は人種浄化や民族浄化から身を守る方法でもある。

画像:https://unsplash.com/photos/oH-PNVWykUo

1章 大和民族に関する思考の規範(ロゴス)

 俺の認識 もしある主体が大和民族それ自体を否定するならば、和服(民族衣装)や日本語(民族言語)、そして神道(民族宗教)や神社(民族建築)や民族の歴史、民族に関する全ての対象を否定する。

  もしある主体が大和民族それ自体を否定するならば、和服(民族衣装)や日本語(民族言語)、そして神道(民族宗教)や神社(民族建築)や民族の歴史、民族に関する全ての対象を否定する。この時、その主体は和服や日本語、神道を否定する。当然、日本語の名前、寿司や古事記や日本書紀、侍や日本国や日本列島の歴史それ自体も否定される。

一般的には、ある主体が和服を否定するとき、その主体は彼は大和民族(日本文化)を否定していると批判されるように感じる。けれども、ここでは、俺は和服→大和民族否定でなく、大和民族の否定→和服の否定を採用する。問題なのは和服の否定でなく、土着の原住民を否定しようとする深層心理それ自体である。

重要なことは相手が和服や寿司を嫌っているのかでなく、大和民族それ自体を嫌っているのかである。もし彼らが大和民族それ自体を否定するならば、大和民族から導かれる全ての対象(民族衣装や食文化)も否定することになるだろう。俺らはもしある主体が大和民族それ自体を否定するならば、その主体は和服や神道それ自体もやがて否定するようになるだろうと思考する。

2章 民族に関する思考の規範(ロゴス)

 俺の認識 もしある主体が民族それ自体を否定するならば、民族衣装や民族言語、そして民族宗教や民族建築や民族の歴史、民族に関する全ての対象を否定する。

 もしある主体が民族それ自体を否定するならば、民族衣装や民族言語、そして民族宗教や民族建築や民族の歴史、民族に関する全ての対象を否定する。この時、漢服やキムチ、漢字やチベット仏教も否定される。そのほかには、道教やモンゴルにおける民族信仰や朝鮮民族における民族信仰が存在する。

上記は1章の一般化である。ここでも、俺らは相手がある種の民族それ自体を否定するのかどうかに着目する。この種の主体はそれぞれの民族的な対象それ自体を侮辱しない。けれども、彼らは相手の民族それ自体を嫌っているように見える。彼らは民族それ自体を否定することによって、彼らは民族衣装も民族信仰も民族食の巣全ても間接的に否定しようとする。

しかし、俺らが上記の思考の規範を採用する時、俺らはこの種の民族浄化から民族や人間性それ自体を保護することができる。

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