一つの時代の終わり 八重洲ブックセンター

東京近郊にお住まいの方ならば、一度は足を運んだことがあるのではないだろうか。

東京駅八重洲口にある大型書店 八重洲ブックセンター。
3月31日をもって営業終了し、44年の歴史に幕を閉じるらしい。
ビルの跡地には、43階建ての高層複合ビルが開発され、28年に竣工予定。
八重洲ブックセンターもそのビル内への出展が計画されているとのこと。


書店が街から消えていくのは非常に寂しい。
感情的にはそう思うのだけれど、実際に本を読むときには9割以上を電子書籍に頼っているし、書籍の購入も書店ではなくネット通販を利用することの方が多いかもしれない。

恐らく世の中に私のような人は沢山いるのだろう。
人々の読書傾向の変化が書店業界の右肩下がりに顕著に表れている。


紙の本を読まない。購入もネットで済ませる私にとって、
「本屋」というのはどういう存在なのだろうか。


記憶を辿って、辿って、思い出されるのは、読書好きの母のことだろうか。
私が幼い頃、母は家事が終わってから寝るまでの短い時間に、毎晩のように本を読んでいた。
どんな本を読んでいたのかは、今となっては分からないが、恐らく小説がほとんどだったように思う。

そんな本好きな母は、私に「欲しい本があるなら買ってあげる」と太っ腹なことを口にしていた。

我が家は決して裕福だったわけではない。
その証拠に漫画もプラモデルも母に買ってもらったことは1度だってない。


しかし本だけは、(活字の本に限られるけれど)買うのを断られたことがない気がする。と言っても、私も本が好きで図書館からたくさん借りてきていたので、実際に本をねだって買ってもらったこと自体はほとんどないのだけれど。

ただ、何かの用事で母と出かけたときに、本屋に立ち寄ったときには、嬉々としながら、とっておきの1冊を求めて書店内をあっちへこっちへと、時間をかけて巡り歩いていたのを覚えている。

あまり幼い頃の家庭内に楽しい記憶がない私にとって、数少ない嬉しい記憶が眠っている場所は、遊園地でも旅先のホテルでもなく、きっと本屋なのだろう。


今でも本屋に行くと、なぜだか嬉しい気持ちになる。
欲しい本が無くても、定期的に大型の本屋を訪れては、その日の気分にあった1冊を求めて、隅から隅まで棚の間を巡る。

そんな楽しい場所が減っていってしまうというのは、実に寂しい気持ちになる。かといって、誰かの思い出の保管庫にするには、コストが高くつきすぎる。

時代の流れには逆らえないというけれど、でもやっぱり寂しいなぁ。
かといって電子書籍の便利さには勝てないしなぁ。

書店の新しい頁と少し埃の混じった独特の匂い。
特別な場所をどう再生することができるだろうか。
ただ本を並べるだけではなくて、その本屋にとっての特別なストーリーラインが必要なのだろうな。



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