名前を呼ばれることのパワー
今日は少し短めに。
サンドイッチマンと芦田愛菜の「博士ちゃん」というテレビ番組を観ていた時のこと。
この番組では、毎回いろいろな専門知識をもった”博士ちゃん”が登場して、時にクイズを交えながら、モノゴトの知識を深めていくという番組だ。
ここに登場する"博士ちゃん"は小中学生くらいなのだけれど、とにかく知識量が凄い。博識というよりもはやマニア、いや本当に博士といってもいいくらいに、自分の好きなジャンルのことについての知識を持っている。
今日の放送回では、
エジプトと考古学に関する博士ちゃんが登場していた。
ピラミッドの謎について詳しいだけではなく、
なんと、自分でミイラの作り方を調べて、
魚のミイラを作ってしまうというくらいに、のめり込んでいた。
そんな"博士ちゃん"が、番組の中で、
考古学の権威とwebでお話するという時間があった。
実際には1時間くらいの対談だったようだけれど、放送されたのは、1分あるか無いかくらいだった。
対談が終わった後の博士ちゃんの感想で聞こえた言葉が、とても印象出来だった。ちょっとうろ覚えなのだけれど、こんなことを話していた。
「あんなに凄い先生と話せたことも感激だったけど、自分の名前を呼んでくれたなんて信じられない。」
確かに、その考古学の先生は、博士ちゃんの名前を何度も呼んでいた。
ただ、名前を呼んだだけではなくて、魚のミイラを作ったことや、他にも博士ちゃんの素晴らしいところをいくつも褒めていた。
それらの褒め言葉と同等、もしくはそれ以上に「名前を呼ばれた」ことが嬉しかったのだろう。
そのことが、妙に私の心に残った。
恐らくは、雲の上のような存在の人が、自分のことを認識してくれたことの喜びなのだろう。
別の話になるけれど、
例えば、旅行に行って、ホテルにチェックインする前に入口などで
「お待ちしておりました、○○様」と名前を呼ばれると、少しドキっとするが、非常に嬉しい。特別な対応をしてくれているような気がする。
或いは、
何年も前に話しただけのような人が、自分のことを覚えていてくれたなんてことも、嬉しかったりする。
名前を呼ぶ という
普通の行為が持つパワーは、想像以上に大きいのかもしれない。
マネジメントする方(特に大規模組織を束ねるボスの方)は、
どんなに社歴が浅いメンバーでも、覚えてあげるとそれだけでモチベーション上げられるかもですね。
#マネジメントそんな安直なものではないけれど
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