だるまさんが転んだら、世界の見え方が変わった話
20歳になった夏、私は車いすと松葉杖で生活していた。
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長かった夏休みも終わりに差し掛かったころ、
私は友人たちと、行きつけの食べ放題の焼き肉屋にいた。
10代後半から20代前半の男性の食欲はすさまじい。
その場にいたのは10人くらいだったと思うが、
カウンターにならんだお肉がみるみるうちに無くなっていく。
おひつのご飯があっという間に消えていく。
1時間か1時間半くらいだったか、
たらふく食べて、パンパンになったお腹をさすりながら店を出る。
その焼き肉屋の隣には駐車場を挟んで温泉があった。
焼肉食べ放題からの温泉というのは、
当時の私たちにとって、もはや王道パターンと化していた。
その日も食後に温泉と話していたが、
いつもに増してたくさん食べたせいか、
すぐに温泉に行かずに、
少し腹ごなししてからにしようということになった。
どういう流れだったかは覚えていないが、
駐車場の端で「だるまさんが転んだ」をすることになった。
子供の頃にやったような、
単純な遊びというのは面白く、簡単に夢中になってしまう。
1回、2回と鬼が入れ替わった頃だっただろうか、
私は順調に前進し、鬼の背まであと少しと迫っていた。
「だるまさんが・・・・」
と鬼が唱え終わらぬうちに、
背中にトンっっとタッチして、逃げ出そうと振り返った1歩目だった。
勢いよく地面を蹴ろうと踏み出した私の右足が、
地面を捉えそこなった。
本当にこんな音がしたかどうかは分からないが、
捻った瞬間に「あ、歩けない・・・」と直感した。
余りの痛さで、温泉は断念し、
強制的にタクシーで帰宅することになった。
帰宅後、氷水で冷やすも、みるみるうちに腫れあがり、
足首に拳くらいの大きさの”コブ”が出来た。
#これは誇張ではないのです
(激しめの捻挫かな・・・・)
そう思いながら、眠りについた。
翌朝、右足を見てみると、
腫れはそのままで、足首から先が青紫色に変色していた。
過去に捻挫は何度も経験したことはあったが、
そこまで足が変色するようなことは無かったから、
慌てて病院に行った。
痛みで足をつくことも出来なかったので、
病院まではタクシーで、
病院に着いて、タクシーを降りて受付までは、
片足飛びで向かった。
幸いなことに、すぐに看護師さんが気が付いて、
車いすに乗せてくれた。
人生で初めての車いすの乗車?だった。
看護師さんが車いすを押してくれて、診察室に案内された。
医師「どうされましたか?」
私「足を捻りまして、腫れと痛みがひどいので」
医師「どういう状況で捻りましたか?」
私「その、、、だるまさんが転んだで・・・」
医師「・・・・わかりました(失笑)」
私だって分かっている。
アラフォーとなった今から見れば、
20歳はまだまだ幼い。
けれど、遊びでケガしない程度に配慮と責任が持てる程度には
十分に判別できるオトナである。
いかに滑稽なケガかは失笑されなくとも分かっている。
(だるまさんに罪は無いんです・・・悪いのは全て私です)
そんな茶番とも拷問とも思えるやり取りの後、
レントゲン撮影を行ったところ、衝撃の事実が判明した。
なんと、足首にある靱帯が3本とも損傷していたのである。
不幸中の幸いで、部分断裂だったため、手術の必要はなく、
3ヶ月程度で、日常生活は出来るということだった。
全治3か月。
生まれて初めての大けがである。
#しかも、だるまさんが転んだが原因で
診察後、病院から松葉杖を貸してもらった。
これも、初めての経験である。
(後から分かったが、
実は、慣れてくると松葉杖は相当早く移動ができる。)
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夏休みが終わり、大学の授業が始まった。
大学内では授業ごとに教室や建物が変わる。
それを松葉杖で移動するのは、けっこう大変だった。
学内にある保健室に相談し、
車椅子を貸してもらえることになった。
通学は松葉杖、学内では車椅子という2重生活?が始まった。
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車椅子に乗ってみて、初めて分かったことは、
普段何気なく歩いていた学内の道が、
実は平坦ではなく、視覚的には気が付かないくらいの傾斜があったり、
凹凸があることだった。
初めて車椅子を自力で操作してみると、
その僅かな傾斜が相当に大変なことに気が付いた。
他にも、建物の入り口などに、
車いす用のスロープが設置されているところがあるが、
正直言って、1人では登れなかった。
ひょっとしたら車椅子キャリアが長くて、
腕の筋力が発達している人であれば、
登れるのかもしれないが、
車椅子初心者の私にとっては、
難攻不落の山のようで、いつも誰かに押してもらっていた。
スロープがなければ、
階段を使って、誰かに車椅子を運んでもらわないといけないので、
スロープは設置されているだけで、重要な意味があると思う。
けれども、1人で思うようにはいかないず、
「バリアフリーとまではいかないな」というのが、
"利用者"としての正直な感想だった。
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私が車椅子に乗っていたのは、今から20年近く前のこと。
当時は、ちょうど国連で
「障がい者の権利条約」というトピックに注目が集まり、
日本でもバリアフリーという言葉に注目が集まり、
駅、公共施設、大型商業施設などの改善が進められていた。
けれど、やっぱりスロープの角度はあるし、
あれを一人で登り切るのは、けっこう大変だと思う。
自分が実体験してみるまでは、
平らな地面に凹凸があることは理解出来ていても、
それが、あんなに抵抗を感じるなんて思いもしなかった。
スロープが一人で登れないなんて思いもしなかった。
むしろ、スロープの設置があれば、
しっかり配慮されているなくらいに感じていたと思う。
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もう一つ、車椅子に乗ってみて、気が付いたことがある。
それは、車椅子に乗っている時に、
後ろに誰かに立たれると怖いということ。
というのも、車椅子は重心がかなり後ろにあるので、
大人が少し力を入れて、後ろ向きに斜め下の力を加えると、
簡単にひっくり返ってしまうのである。
大学内で車椅子生活をしていたこともあって、
友達がふざけて引き倒してきたり、
逆に勢いよくスピードをつけて押して、
手を放してしまうということがあって、
後ろに人が立つということに、不安を感じるようになった。
#どんな友達だ
押してもらえるとすごく助かるけれど、
後ろに立たれるのは怖い。
そんな車椅子という乗り物。
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幸いなことに、
私はケガをしてから1か月程度で足をつけるようになり、
車椅子を必要としなくなった。
けれども、世の中には車椅子とともに暮らしている人もいる。
街中で、スロープや階段、ちょっとした段差などで、
キョロキョロしている車椅子利用者がいたら、
横か前に回って「押しましょうか?」と声をかけるようにしている。
バリアフリーも当たり前の概念として定着し、
様々なサポートが充実してきていると思う。
けれど、そのサポートが本当に機能しているのかどうか、
時々は立ち止まって、その人の目線になることが大事なんだと思う。
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私が「だるまさんが転んだ」で自ら転び、
不覚にも靱帯を切ってしまったことは、
自慢できることではない・・・、
というか未だに自分でもバカだなぁと思うけれど、
その経験は必要な痛みであり、貴重な機会だったのだと思う。
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