見出し画像

45歳で夢ができた。働くことがお金をもらう手段から人生の幸福度を上げる手段に変わった。

パン屋さんに、俺はなる!!

 なんて、なんかの王になりたいみたいな言い方をしている僕は、数年前までただただ今いる会社の仕事を淡々とこなすだけの男だった。そこには何か希望に満ちたようなことがなかった。あったのかな。探そうともしなかった。

 家族がいる。奥さんと子供2人。養わなければいけなかった。生活しなきゃいけなかった。ご飯を食べなきゃいけなかった。子どもに習い事させたいし、電気に水道に電話代に。。。あ、タバコがもうすぐ切れる。買わなきゃ。。あの服かっこいいな。この靴ほしいな。家のローン減らないな。お金、ほしいな。もっと働かなきゃ。。頑張ってるはずなんだけど。なんかいい事ないかな。

 こんなはずじゃなかった。少なくとも転職して今の会社に入った時にはめちゃくちゃ希望があった。営業担当で誰もが知っている大きな企業の担当もさせてもらった。その会社の入門のセキュリティの全社展開も担当した。自分に自信もあった。やりたいことも叶えていたし、お客さんの希望に添えるようなものも一生懸命考えて提案した。小さな会社ではいろんなことが自由にできて、苦労したこともあったけどめちゃくちゃ楽しかった。

 納品したものに問題があって、夜中に会社から現場に予備品もって駆けつけて一生懸命対応したことも、お客さんから納期前倒し要求もいろんなところにお願いしまくって調整できたことも、全然苦労と思わず頑張れた。頑張れていた。お客さんが喜んでくれたらうれしかった。対応して「ありがとう」と言ってもらえることが力の源になっていた。頑張れた。

 いつからだろう。会社が合併の繰り返しで大きくなるにつれてだんだん息苦しくなってきた。いつからだろう。頑張っても頑張ってもなんだか終わりが見えなくなってきて、歩みが遅くなってきた。いろんなことがうまく回らなくなってきた。やることなすことうまくいかなかった。どこにいても人の顔いろを気にするようになった。常におどおどしていた。おどおどしながら自分を守りながら行動していた。それでも自分では頑張っていたつもりだった。でも失敗をたくさん続けてしまうようになった。

 他部署からの依頼で新しくやらなきゃいけないことができたあるとき上司に言われた。

加藤君が動くとみんなが迷惑をするんだ。
頼むから私が言うまで動かないでくれ。

 きつかった。周りからいろいろ言われていたのかもしれないけど、直属の上司が目を吊り上げて僕に放ったこの一言は、既に病んでいた僕の心の奥深くにざっくりと刺さり、「もっと頑張らなきゃ」と無理をしていた心をえぐり取った。動けなかった。ひとこと小さく「ハイ、、、」と返事をした。

 人が怖くなった。失敗することも必要以上に怖くなった。僕が動くと迷惑になっちゃう。何かやろうとするとあの呪いの言葉が僕の脳内を猛スピードで回る。拡声器で大きくなって僕の頭の中をこだまする。一歩動こうとするとすかさず呪文が唱えられて動けなくなった。

 復職してなんとなく暇をもてあましていた時に近所のお店のパン教室があることを知った。なんとなく参加した。そこでつくったパンを奥さんと子供がおいしそうに食べてくれた。おいしそうな顔をして、おいしいって言ってくれた。会社でも家でもずっと褒めてもらえなかった。いつも頑張ったつもりでもなんにもできていなくて成果もわからなかったけど、この時は自分の成果が体全体で理解できた。

 数か月後に違うお店で天然酵母のパン教室に参加した。2日間で2万円と高かったけど、もしかしたらとんでもなくおいしいパンができるのではないかと期待した。パン教室で作ったクロワッサンは、原材料の砂糖とバターがすごい多いとわかってからあまり食べられなくなったけど、そのパン教室で仕込んだイチゴ酵母を使って自宅で焼いたパンは、形は悪かったけど今まで食べたパンの中でも最高クラスに美味しくて感動した。自分の作ったパンをもっといろんな人に食べてもらいたいと思って会社にもっていった。

画像1

 作業を依頼する担当の子2人に食べてもらった。めちゃ喜んでくれたし、めちゃおいしいって言ってくれた。もっとほしいと言ってくれた。その子らの子どもたちもおいしいって言ってくれたと聞いたとき、僕のパンは売れると思った。この2人とは作業以外の話をあまりしなかったし、むしろ僕にはそんなにいい印象がない感じだったけど、このパンを機にいろんな会話ができるようになった。僕に聞きながらパンを作り始めてくれた。そして困った時にもお互い様で助け合えるようになった。

 わりと業務上関係するいろんな部署の人たちに食べてもらうようになった。もちろん中には僕に気を使ってる人もいるんだろうけど、それでもたくさんの人がおいしいって笑顔で言ってくれるようになった。お店で売ってるもんと同じって言ってくれる人もいた。うれしかった。会社に行くのが楽しくなった。もっと褒めてもらいたい。おいしそうに食べているのを見ていたい。

画像2

 石窯で焼くパンに興味を持った。天然酵母で仕込んで石窯で焼いたパンが、今まで食べていた大好きと思っていたスーパーやコンビニのパンと比較にならないくらいに美味しかったし、めちゃくちゃかっこいいパンに見えた。原材料が気になるようになった。コンビニの棚に並んでいる大量に作られたパンに知らない添加物が大量に記載されていたのをみて、そのパンを食べたくなくなっていた。自分で焼いたパンのが絶対うまい。いつしかパン屋をやりたいって思うようになった。

 半休取って一人で優雅に外食したお店で「石窯・愛知」で検索した石窯工房に電話をかけた。今から行きたいと言ったらOKしてくれたから、2時間かけて行き、熱い思いを3時間語った。石窯職人のおっちゃんは優しい目で応援してくれた。

 noteを始めた。最初から6000文字を越える超大作を書いた。書き上がるまで数日かかった。公開ボタンを押すのもためらったりしたけど、熱い思いを感情込めて書き上げたからみんなに見てほしいと願いながら押した「公開ボタン」は、目標にしていた「父の日に公開」を2分すぎてしまっていた。すぐに人気が出ると思っていたけど全く人気が出なかったどころか誰も見てくれなかった。でもちょっと待っていたら初めて「スキ」をもらえた。うれしかった。ドキドキした。

 全然見てもらえなくて拗ねたことがあっても、なにか書くことを絞り出して続けたnoteは、いろんな人との出会いをくれた。フォローしたりしてもらったり、コメントしたりしてもらったり。いろんな人の考え方に触れられてとてもいい刺激を体中に浴びた。西尾市の創業キホン塾に参加したり、いろんな行動を率先して取るようになった。そこでも新しい人との出会いがたくさんあった。

 週に2日とか3日とかパンを焼くようになった。最初「粉が散る」とか「音がうるさい」とかさんざん言っていた奥さんが何も言わなくなった。作り始めてから2年が経っていた。1年前は「ガレージを改装してお店作るなんて信じられん。絶対ダメ!」って強く反対していた奥さんが、ガレージ改装の許可をくれた。ブレずに続けたことが奥さんの気持ちをも変えたのだ。手伝ってはくれないようだけど。とてもうれしかった。

 こうした小さな成功体験が僕のトラウマを小さくしていき、ちっぽけだった僕の自信をちょっとずつ大きくしてくれた。

 いつのまにか実現したいことのために行動できるようになってきた。歩みは遅いけど、それでもまだなにか動こうとした時には嘗ての呪文が脳内を巡る。立ち止まる。だけど僕はその呪文と一生懸命闘うようになった。闘いながらゆっくりだけど最初の一歩を踏み出すようになった。まだこの呪文はトラウマとなって僕に立ち止まらせようとするけれど、以前と比べてその声の大きさや怖さは小さくなってきた。

画像3

 先日「食品衛生責任者」の資格を得た。飲食店をする時に必要なものだ。1日受講すればもらえるものだけど、証書を受け取ったときになんだか言葉にできない感動を覚えた。これさえあれば飲食店を営業できる。まだまだお店のデザインもお金の問題やオペレーションどうするとか、どこから仕入れて何をどういう風にやっていくのかとか、沢山沢山考えないといけないことややらなきゃいけなことがあって全く決め切れていないけれど、やりたいことに向かって動き始めた僕はいろんなことに幸せを感じるようになった。

 45歳で夢ができた。それまで働く意味が生活するお金をもらうだけの手段だったのに、夢を持ってからの人生はそれまでの何倍も楽しく豊かになって、働くということが僕の幸福度を上げる手段に変わった。

 僕は今胸を張って言える。子どもたちにも。みんなにも。小さくてもいい。夢をもってそれに向かって歩き出したとき、きっと幸せな気持ちが溢れてくると。

 最初の記事公開から1年半。「令和元年にやりたいこと」を書いたのにもう令和3年。まだもう少し時間がかかるけど、ゆっくりでもいい。前に進められたらそれでいい。副業パン屋を先ずは開業して、僕はやりたいことを実現していくんだ。そしていつか。。

画像4


#私らしいはたらき方
#COMEMO
#あなたが変身した話

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?