見出し画像

実践と情報化に基づく知的存在:タンパク質から見た生命現象

生命の中心的な仕組みの一つとして、様々なタンパク質の合成があります。タンパク質は生物の体の中で、様々な化学反応を促進したり抑制したりといった制御を行ったり、情報を伝達したり、身体の構造を担う部品になったりします。

タンパク質の合成について考える時、一般的にはDNAを起点にして、そこからタンパク質が生成されるという見方がされることが多いようです。しかし、それは一面的な視点であり、タンパク質の視点から見ると、別の景色が広がってきます。

この記事は、前半ではタンパク質の視点から生命現象を見ていきます。そこから、DNAとタンパク質がそれぞれ情報化と実践という異なる戦略を持っていることを確認します。

後半では、情報化と実践の相互作用について考えます。そして、生物のタンパク質とDNA、人間の身体と脳、ロボットと人工知能を、情報化と実践に基づく知的存在という形で対比します。

■料理の例

少し突飛な例になりますが、料理を作るアプローチについて考えてみます。

ある人は、美味しい料理ができたら、そのレシピを記憶して次回からもずっと同じ料理を作り続けます。別の人は、最初に作った料理が美味しくても、より美味しい料理ができる可能性を考えて、毎回、異なる料理にチャレンジします。

この2人は、美味しい料理を作って食べたいという共通の目的を持っていますが、その達成のためにそれぞれ異なるアプローチを採用しています。前者は情報化、後者は実践に主眼を置いています。

先ほどの二人が協力すれば、美味しい料理のレパートリーとその中から季節や気分に合わせて料理を選択するノウハウが蓄積されていき、豊かな食生活を楽しむことができるでしょう。また、レシピが溜まってきたら、調理法と材料の新しい組み合わせを創作することもできます。

このように、情報化と実践というお互いの戦略の長所を性質を生かしながら、2つのアプローチを上手く協力させることで、安定的で創造性のある情報化と実践が可能になります。

■タンパク質の視点から見る生命現象

あるタンパク質が生命の維持や増殖に有利に働くと、そのタンパク質を生成できる個体の子孫は、それを持たない個体の子孫よりも、数が増えやすいはずです。

すると、そのタンパク質を生成できる個体の割合が増えていきます。つまり、1個体でなく全体的な視点から見ると、そのタンパク質の総量が増加しているという見方もできます。

タンパク質の観点から見ても、タンパク質が自己増殖しているように見えます。この視点では、DNAの自己複製の能力や、その他の生物の仕組みは、タンパク質の増殖のために利用されています。

DNAとタンパク質は先ほどの料理の比喩の二人に当てはまります。安定した情報を保持することが得意なDNAは前者の情報化戦略を取ります。一方で、変化しやすく多様な構造を取り得るタンパク質は、後者の実践戦略を取ります。

この2つの戦略を持ったDNAとタンパク質が手を取り合う事で、変化を柔軟に受け入れながらも、芯を持って生命活動を継続し、適切に進化していくことができると考えられます。

■経験、帰納、そしてアジャイル

自己複製でなくフィードバックループによるタンパク質の増殖は、ランダムなアミノ酸の組み合わせを無数に生み出すトライアンドエラーの連続です。

多く失敗の中から、上手くフィードバックループが形成できるアミノ酸の組み合わせを見つけることで、それが自己増殖して残っていくことになります。

これは、哲学で言えば経験主義の考え方そのものです。そして、科学的には帰納的なアプローチです。また工学の世界では、ソフトウェアやプロダクトやサービスのアジャイル開発です。

これらは、実世界に対してアイデアや実験や製作物をインプットし、実世界からポジティブなフィードバックがあったものを再投入するというやり方で、思考、理論、プロダクトやサービスを発展させるというアプローチです。

生物や生命の起源をタンパク質の視点から見ると、生命現象も経験、帰納、アジャイルのアプローチに取り組んでいるように見えます。これらは、実践を重視するという戦略です。

■合理、演繹、そしてウォーターフォール

タンパク質の現実世界との相互作用の俊敏さと直接性に比べると、DNAからタンパク質の合成までの過程は遅く慎重に見えます。

DNAは生物の設計図に例えられますが、過去の進化の歴史を通した経験から、有用であると判明したタンパク質の合成方法が大量に記録されています。

そして、状況やタイミングに合わせて、必要なタンパク質を合成するというメカニズムを持っています。

タンパク質の視点での進化をアジャイル開発に例えました。DNA視点での生命活動の維持は、慎重に判断して失敗なく確実に適切なタンパク質を合成しているという意味で、ソフトウェア開発におけるウォーターフォール型の開発に例えることができます。

ここでの文脈では、DNAはソフトウェア開発や製品開発における、開発者チームの対象ドメイン知識や設計ノウハウなどのナレッジの蓄積を含みます。それに加えて、再利用することができるソフトウェア部品も蓄積します。多くのナレッジと再利用可能なソフトウェア部品を蓄積することで、経験的なフィードバックに頼らなくても、適切な製品の設計と高品質なソフトウェア開発が可能になります。

同じように、DNAも単にタンパク質を合成するための設計情報を持つだけでなく、それをどのような状況で使えばよいかという法則や条件といったナレッジのようなものも記憶しています。これらは全て情報と言えます。

そしてこのDNAの情報蓄積と情報を活用して適切な反応を行うというやり方は、哲学的には合理主義、科学的アプローチとしては演繹に対応します。DNAは、過去の経験を情報として集約し、状況に応じて合理的あるいは演繹的に対処する事を可能にする仕組みを実現するためのキーとなる部品であると言えそうです。これは、情報化戦略と言えます。

■タンパク質の視点から見たDNAの役割

例えば、温度が低い状態でも他のタンパク質の合成を可能にするようなタンパク質とそのフィードバックループが存在するとします。それとは別に、pHが高い状態でもタンパク質が破損されないような保護機能を持つタンパク質とそのフィードバックループが存在するとします。

では、温度が低く、pHが高い状態に置かれた場合を考えてみます。この時、先程の2つのタンパク質は、どちらも上手く機能できなくなります。タンパク質のフィードバックループだけでは、既に開発された2つの仕組みを上手く組み合わせることができません。

しかしDNAにこれらのタンパク質が刻まれており、状況に応じて適切なタンパク質を合成できればどうでしょうか。この仕組みがあれば、過去には経験のない温度が低く、かつpHが高い状態であっても、2つのタンパク質を同時に合成することで対処する事ができます。これは、2つのタンパク質を合成するための情報と、これらのタンパク質を生成する適切な条件という情報とを記憶し活用する情報化の能力が生かされています。

また、DNAは進化の過程で交配する能力を獲得しました。これにより、世代交代の際に変異が行われるようになりました。この仕組みは、知識を掛け合わせて有用な知識を生み出すタイプの演繹的なアプローチを思わせます。人間は知り得ている知識を様々に掛け合わせて新しいアイデアをひらめきますが、DNAの交配は異なる情報を組み合わせて新しいタンパク質の合成や新しい条件での生成を試みるという形で、同様のことを行っていることになります。

これが、DNAの合理、演繹、ウォーターフォールのアプローチの強みです。

■情報化と実践による学習

哲学的にも、合理主義と経験主義が手を合わせることで有用な知恵がでれば良いとするプラグマティズムのような考え方があります。科学においては、理論を組み合わせた演繹だけでは価値を認められず証拠を求められ、実験データを集めた帰納だけでは価値を認められず理論を求められます。このため
通常は演繹と帰納の両方を上手く研究に織り込む必要があります。

社会も、伝統を守りつつも、新しいことにチャレンジすることが求められます。伝統に固執すれば時代に取り残され、新しいことにチャレンジするだけでは競争に取る疲弊や摩擦だらけになります。適切な速度で変化に対応するための探索は行いながらも、安らぎや安心が得られ得る空間や文化や社会的土台を保持し続ける事が必要です。

実験データも理論も、個々の経験も伝統も、すべて情報として記録され保持されます。一方で、ただ記録されるだけではなく、理論や伝統は経験の蓄積とインスピレーションのようなものが相互作用して洗練されていく情報です。

人間の脳は、もちろんこうした情報の蓄積や洗練を高度に行う機能を持っていますが、一方でDNAとその進化のメカニズム全体も、高度な情報の蓄積と洗練を実現するものであると考える事が出来ます。タンパク質の実践を通して有用性が認められたものが、洗練された情報としてDNAに刻まれ続けることになります。

この意味では、DNAもタンパク質を通して得られた現実世界の情報を記録して活用するような、知的な操作が行われていることになります。

先ほど見たように、DNAは学習した情報を利用して、状況に応じた適切なタンパク質の合成の指揮を取り、未経験の環境条件の組合せにもロバストに適応します。また交配により既知の情報を組み替えて有用な情報を探してイノベーションを起こすやり方は、高度に知的な作業と思われる演繹的な知識発見のアプローチを実現するアプローチです。

こうして考えると、DNAによる情報の遺伝を通して、生物の個体単体ではなく生物種のとして、現実世界を学習しているという表現もできるでしょう。

■人間の学習

人間も、言葉が無い時代には恐らく個人の脳の中に経験した情報は蓄積されていたのだと思います。危機や感情の伝達や、表情やボディランゲージや非言語的音声コミュニケーションで可能だったと思いますが、経験の共有は難しいでしょう。

言葉が出来たことで、経験を集団で共有できるようになったと考えられます。話し言葉だけの時代には、口伝で伝承していくしかありませんので、ごく限られた情報のみが伝承され、世代と共に変化していったと考えられます。これは、生物で言えばDNAなしでフィードバックループのみでタンパク質を再生産しているようなものです。生産は安定しませんし、ループが途切れたら情報は容易に失われます。

そこから、文字が発明された事で、多くの情報を長期間記録できるようになりました。生物で言えばDNAのようなものです。文字を書き残しておく媒体も、それが破損すれば情報が失われます。そのバックアップ的な意味と、より多くの人に伝達する意味で、DNAのように文書の複写をすることで、情報の保存や頒布がなされたのでしょう。また、文字で書かれた数式や論理的な情報を操作することで、DNAの交配と同じく、より高度な演繹が可能になったと考えられます。

書物のコピーは活版印刷の登場で飛躍的に容易になり、さらにインターネットを始めとする情報革命は、まさに人間社会の情報化戦略を加速させました。

■人間の脳の機能

人間の脳がDNAよりも知的に高度な点は、単純な演繹能力や新しい知識の形成能力ではありません。情報処理の速度と、未来を予測する能力の2つの点です。

DNAが学習したり演繹するためには生物が数世代入れ替わるくらいの長い時間が必要です。人間の脳であれば、一瞬や数秒でできるような知的作業でも、それくらいはかかるでしょう。

また、DNAは基本的にランダムに変異して実践したり、今置かれている状況に対して適切な応対をすることしかできません。

一方、人間の脳は、経験や論路推論や頭の中でのシミュレーションに基づいて、ある程度未来を予想する能力を持っています。それを活かして、予想した未来を前提にした準備行動を取る事が出来ます。また、この予測する能力活かして様々なものを設計(デザイン)することができます。

■さいごに:実践と情報化に基づく知的存在

そして、今や情報は蓄積やコピーされて人間が共有したり演繹したりするだけに留まりません。人工知能が情報を学習して利用しますし、メタバースやサイバーフィジカルシステムのように、仮想空間上の情報が実体を持っているかのように扱われたり、仮想空間上の情報と現実世界がリアルタイムに連動するという時代も、近づいてきています。

ロボットが自動的に実践を繰り返して現実の経験を情報化し、人工知能がその情報を学習、演繹して高度化していけば、より高度な学習の世界が広がっていくでしょう。

タンパク質の実践とDNAによる情報化、人間の身体的な実践と脳による情報化、ロボットによる実践と人工知能による情報化。このような形で、実践と情報化の戦略に基づく知的存在は、進化していくのでしょう。


サポートも大変ありがたいですし、コメントや引用、ツイッターでのリポストをいただくことでも、大変励みになります。よろしくおねがいします!