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組み立て不可能な物:ヒステリシス構造の視点

生物の身体が、内側から細胞分裂により拡張していく様子に着目しています。この観点から生物の身体の構造について考えると、その構造を観察しても同じように組み立てることができないことに気がつきます。

このような性質を持つ構造は、生物以外にも概念的な構造においても存在しているように思います。そこで、この記事では構造について基本的な考え方を整理した上で、この組み立て不可能な構造について考えてみます。

■構造を持っている物

例えば、建物は構造を持っています。

典型的な家屋であれば、構造力学的には、柱と柱の間をつなぐ梁と壁の重さを、柱が支えます。梁はその上に乗る屋根を支えますので、その分の重さが柱には掛かります。

空間構造で言えば、外壁により建物の中と外の空間が区切られ、建物の中も、内壁によって部屋が区切られます。それだけでは人や物が移動できないため、開口部やドアが設置されて移動を可能にしますし、建物の中に空気を通すために窓もあります。

建物だけでなく、工業製品も生物の体も構造を持ちますし、ミクロのレベルであれば化学物質や分子も構造を持ちます。マクロレベルで言えば星や太陽系や銀河系なども構造を持っています。

物質的なものだけでなく、概念的なものも構造を持ちます。学問の体系も構造ですし、文章も構造を持ちます。人間関係もネットワーク上の構造を持っています。

■構造とは何か

構造とは、複数の要素が互いに関係を持っていると捉えた時に、その要素と関係の全体像を意味します。従って、要素を挙げて、その要素間の関係を並べていくことで、構造を説明することができます。

また、構造自体も構造を持つ場合があります。形而上的な構造と言えるかもしれません。例えば具体的な建物は複数の柱や壁や梁を持ち、それらは具体的な大きさや形を持ちます。しかし、私の先ほどの説明では、柱や壁や梁の具体的な本数や形状については言及せずに、一般的な柱、壁、梁の関係を説明しました。

これは、具体的な構造の要素と関係を抽象化して、形而上的な要素と関係の構造を説明した事になります。

■構造の分析と説明の方法

構造は多面的ですので、全てを一つの構造として説明することは困難です。このため、限定された要素と関係に絞って、それを一つの側面からの構造として表現した方が、説明も理解も容易になります。

そして、同じ対象について、複数の側面から構造を説明することで、全体を表現していくというアプローチが有効です。これは、先ほど私が建物の構造について力学の側面と空間の側面に分けて説明したようなやり方です。

このようなアプローチを取っていれば、対象の複雑さに惑わされずに、着実に一つ一つの側面から、対象の構造を分析して理解することが可能になります。

そして、新しい発見や見解が提示されたときも、既存の全ての側面に追加する必要はなく、関連する側面にだけ説明を追加したり、新しい側面からの構造の説明を追加すれば良いでしょう。こうすることで、既存の構造分析の作業への手戻りを少なくすることができます。

■組み立て可能な構造とヒステリシス構造

一般に、構造の代表例として、建築物やグラフィックデザイン、あるいはソフトウェアやシステムで説明されることが多いと思います。このため、構造を持つものは、完成図に書かれた通りに要素を組み立てて行けば、構造は作成できるという捉え方をされているように思います。

しかし、構造の中には、完成図を見ても組み立てられない構造があります。

例えばゴム風船を思い浮かべてください。まず伸縮するゴムで袋状の形状を作り、そこに空気を入れて膨らますことで、風船ができることを私たちは知っています。

しかし、仮にその手順を知らず、かつ、思いつかなったとしたらどうでしょうか。ゴム風船の実物や、その素材や図面を見たところで、ゴムを使って風船を組み立てられるでしょうか。おそらく、それはほとんど不可能でしょう。

試しにゴムを球状に固めても、風船と同じ薄さのゴムにすることは難しいでしょうし、仮に薄さを一致させることができても、膨張させたときの張力を持ったゴムにはなりません。

ゴム風船は手順が単純ですが、より複雑な手順を踏んで構造が形成される場合にはさらに困難になります。これは、ゴム風船のように途中途中で構造に力を吹き込み、構造内でその力がバランスを取る必要があるようなものにおいて、顕著です。

完成した実物や図面を見れば、その素材や形状、そしてそこに働いている力のバランスを把握できるかもしれません。そして、素材や形状は真似をすることができたとしても、力のバランスが複雑になっている場合、一体どうやってそのバランスが取れる状態にできるのかは、構造形成の結果である実物だけを見ても知る事はできません。

その構造が形成される過程を知る事が出来なければ、その力のバランスを再現することができないのです。なぜなら、手順があっていないと、途中で力のバランスが崩れたり抜けたりします。また、完成状態における力のバランスは、途中経過の姿をしていません。このため、途中経過の情報を知るすべがないのです。

そして、仮に完成系に至るまでの手順が判明した場合、再現するためには、その手順に沿って構築していくしかありません。この意味で、こうした構造をヒステリシス構造と呼ぶことにします。その構造の完成時の状態を別の手順で再現することはできず、完成に至るまでの履歴をなぞる必要があり、最終的な構造にその履歴が刻まれていると考える事が出来るためです。

■ヒステリシス構造の非直感性

生物の身体はまさにヒステリシス構造です。このため、現代の科学をもってしても、一度分解してしまった細胞を組み立てて元通り生きている細胞を作り出すことはできません。細胞を生きた状態にするためには、組み立てるのではなく、生成の過程を再現するよりほかありません。

そして、再現方法は今のところ、元の細胞に細胞分裂をさせることでしか得られませんので、私たちは自分たちの科学技術で細胞を作り出すことができないでいるのです。

この事を理解していると、SF映画や小説に出てくるスキャン型あるいは分解型の転送装置の仕組みがあり得ないことが分かります。生物の身体をスキャンして、分子や原子の位置を正しく把握できたとしても、それを上から組み立てることはできないはずです。身体には様々なところに張力がかかっており、単に分子を上から同じように並べようとしても、途中で力が逃げてしまい上手く行かないためです。この装置で風船を転送する場合をイメージすると、より直観的でしょう。

もし生物を再現させるなら、胎児の状態から最新の身体の状態までの過程を逆予測して、そのプロセスに沿って生成させる必要があるはずです。生物は単に静的な構造と張力を再現するだけでなく、生命活動の動的な流れとそこにある運動エネルギーや化学エネルギーの状態までも再現する必要がありますので、実際にはより複雑な事をする必要があります。

スキャン型の転送装置はあくまでSFの世界の話ですので、単なるフィクションだと言えばその通りです。しかし、3Dプリンタが登場した時、様々なものがインターネットからデータをダウンロードして自宅で製造できるようになるという未来予想図も描かれていました。

張力が均一な樹脂製品や金属製品は整形できますが、内部に張力を持つものは3Dプリンタで再現することはできません。例えば、食べ物の触感も、その食べ物が生育され、調理される過程を再現しなければ、下から分子をくっつけて行っても再現することはできないでしょう。

そこに構造的な疑問があまり向けられていないとすれば、多くの人は全ての構造は組み立て可能であるという前提に立って物事を見ている可能性があります。この事は、ヒステリシス構造と私が呼んでいる構造が、私たちにとって非直感的であるという事なのだと思います。

■印象の構造

ここからは、物質的な構造を離れて、概念的な構造についての話に移ります。

印象という言葉があります。対象に対して、私たちが抱く感想と言えばよいでしょうか。話を単純にするために、ポジティブとネガティブという2種類の印象を持つと仮定しましょう。

印象を決定づけるのは、対象に対する情報です。ポジティブな情報を受け取れば、ポジティブな印象を持ちます。ただし、この情報が単に世の中に存在するだけでは意味がありません。その情報を、私たちが知る事で、私たちの中に印象が形成されていきます。

その意味で、印象と情報という概念的な構造が、私たちの頭の中には形成されることになります。Aさんという人がいて、その人の見た目や態度が快活で優しそうであり、他の人からも良い評判を聞いていたとします。私たちの頭の中では、Aさんに関して、それらのポジティブな情報たちが、ポジティブな印象を支える構図ができることになります。

しかし、その状態で、Aさんは以前にとても悪いことをしていたという情報を聞いたとしたらどうでしょうか。それが本当にネガティブな事であれば、その情報だけに引きずられて、Aさんに対する印象がネガティブになるかもしれません。

一方で、別のBさんについて、先ほどのAさんと同様の悪いことをしていたという話だけを知っていたとします。もちろん私たちのBさんへの印象はネガティブです。しかし、実際にBさんに会ってみると、とても優しそうで態度にも好感が持て、さらに周囲の人たちからもBさんが高く評価されているという話を知ったとします。先ほどのAさんのケースとは逆に、私たちはBさんに対する印象がネガティブからポジティブなものに変わる事があるでしょう。

この例のように、私たちの頭の中の情報と印象も、ヒステリシス構造を持っています。同じだけの情報を得ていれば、その情報を得た順序に関係なく平等に評価すべきであるというのは正しい意見ですが、私たちの印象を形作る仕組みは、残念ながらそのようにできていないのです。張力を持つ物理構造の形成過程のように、印象を形成する情報のインプットの順序と、既に持っている印象構造との関係の中で、ヒステリシスを伴いながら印象は形作られていきます。

■印象のヒステリシス構造の罠

印象がヒステリシス構造であることを考慮すると、社会において大きな問題が内在していることに気がつきます。同じ対象を見て、同じ情報を獲得したとしても、私たちは印象に関しては、恣意的なのです。

元々、異なる価値観であり、同じ情報を受け取っても異なる評価をしているのであれば、まだ異文化や価値観の違いとして、対話と理解が可能かもしれません。

しかし、受け取る順序によって印象が変わってしまうと、先ほどの例のAさんとBさんのように、同じ悪いことと良いことをした人に対して、同一の個人であっても異なる印象を持ってしまうという事です。これは、当事者であるAさんやBさん、あるいは他の第三者から見て、ダブルスタンダードに見えます。

このようなダブルスタンダードのような評価が露呈すると、先ほどのような価値観や文化の違いとして、対話を通して理解することが難しくなります。対話により相互理解をする場合、相手が一貫性を持っていなければ取り組むことが難しくなります。客観的には何も差が無いAさんとBさんに対して評価が異なるのであれば、その人の価値観を理解することはできないと感じるでしょう。

個人の内面や私的な範囲で物事や人に持つ印象については本人の自由です。しかし、公的な人間関係や組織同士の関係において、このようなヒステリシス構造を持つ印象を持ち込んで社会的な評価を下したり、取り扱いを決めてしまうことは危険です。それを避けるために、印象を排除して客観的な事実を並べ、他の事例とも比較しながら評価を下すようにする必要があります。

■社会におけるヒステリシス構造

社会においても、様々なところにヒステリシス構造は観察されると思います。例えば、法律や政策は、その文章や記録だけを真似して他の国に持って行っても上手く行かないでしょう。それは国民性や地域性といった側面もありますが、それまでの社会の歴史や他の法律や政策の順序などがあって考え出されたものになっているはずだからです。また、ある社会で成功したビジネスを別の国や地域に持って行っても上手く行かないことがあるというのも、同じような話です。

ファッションや音楽の流行や、文化的なものや芸術的なものの変遷も、ヒステリシス構造を持ちます。過去に下敷きとなる現象や流行が存在しているからこそ、その発展やアンチテーゼとして意味を持つものは、流行や文化の中には多く見られます。それを無視して、そのものだけを解釈しようとしても、全く理解ができない物も多いでしょう。例えば、ピカソのキュビズムの絵を、新しい絵画の表現方法を画家たちが探していたその時代から切り離して評価することは、難しいでしょう。

■さいごに

この記事では、物質的なものと概念的なものを含めて、構造について考察をしました。後半では、特に組み立て可能な構造に対比する形で、ヒステリシス構造という考え方を提示しました。

ヒステリシス構造は、私たちが物理的なものを作り出すときは取り入れていない構造です。仕様や規格や設計書に沿って効率よく物を作るためには、組み立て可能な構造の方が適しているためです。そのため、ややもすると私たちはヒステリシス構造というもの自体が存在することすら、意識や議論の中で見落としてしまいがちです。

これは、私たちの思考の中で、ヒステリシス構造を上手く把握できないためです。構造を作る時に、その構造の中の力のバランスが変化し、構造が変化していくとなると、私たちの頭では力のバランスの変化の影響の予測が難しくなります。その上、それを何ステップも先まで想定して、意図した通りのものを作る事は、極めて難しいためです。

コンピュータシミュレーションを活用すれば、ある程度はそうした事も可能になるかもしれませんが、組み立て可能な構造を考えた方が楽なことには変わりありません。

ただし、人工知能が人間の知能を大きく超える時代になれば、ヒステリシス構造を持つ製品や建築物が容易に設計され、製造される時代が来るかもしれません。ヒステリシス構造を予測して設計できる人工知能が登場したとすれば、人間の心理や社会の構造すらも、人よりも容易に操れてしまうようになるのかもしれません。社会の構造的な問題の解決には役に立つかもしれませんが、悪用された場合のリスクが高い点も、気がかりではあります。

そして、その人工知能も、今後どのように私たちの社会に現れ、人間社会と人工知能がどのような力学的な関係と構造を形成していくのかを考えると、そこにもヒステリシス構造が現れることは間違いないでしょう。その構造は、業界や分野によっても、また国や地域によっても異なる経緯を辿る事になるでしょう。

人工知能を推進する人の中には、心配する必要性は少ないと主張する人もいますが、社会のヒステリシス構造の中に想像もつかないインパクトをもたらすものを投入して、その先のリスクを読むことは、人間の能力を明らかに超えています。後戻りはできないとしても、できる限り慎重に進めなければならないことは、私には明白な事のように思えます。


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