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ニューラルネットの本質的意味論:離散と重ね合わせ、意識と自由意志

◇離散と連続

ニューロンが、条件分岐のように入力に従って1か0を出力する能力を持つことは、離散化を行うことができるという事を意味します。

離散化により、私達は数を数える事ができます。認知した対象を明確に分類することや、共通の特徴を持つ明確な概念を抽出することも可能になります。また、取り得る行為を明確な選択肢として落とし込み、その選択肢のどちらを選ぶか、と言った鮮明な意思決定を、可能にします。数を数えることも、分類や概念化を行う事も、選択肢を立てて選ぶことも、離散化ができるから可能になるのです。

もちろん、ニューロンの出力を離散化させずに連続的な情報のまま伝達する事もできます。体を滑らかに動かしたり、わずかな状況や状態の違いの中でバランスを取ったり柔軟に反応したりする能力は、連続的なアナログ情報のまま学習したり行為に結びつけることができる能力の証でしょう。

◇ニューラルネットにおける重な合わせ状態

ニューラルネットが、一つの層に複数のニューロンを持つことは、その層の出力がそのニューロンの個数分の出力になっていることを意味します。

そこには、その層の出力が、重ね合わせの状態になっていると解釈することができます。

つまり、ニューラルネットの複数の層は、それぞれ重ね合わせの状態で出力しているという捉え方もできるということです。

ニューラルネットが複数の層を持つ場合、重ね合わせの状態で層を進んでいくという事を意味しています。

◇ニューラルネットの情報処理インフラとしての特性

整理すると、ニューラルネットは以下が可能な情報処理インフラであると言えます。

・離散化とアナログ的な変換の両方の情報加工
・複数の値の重ね合わせ状態の作成
・上記の繰り返し処理

重ね合わせは特に重要です。離散化により出てくるのはデジタルな数値です。しかし離散化した情報を扱っているにも関わらず、重ね合わせにより依然として確率的で、曖昧さを含む、アナログのような要素を残します。

◇可能世界と確定世界

重ね合わせは、可能性があるが未確定の状態です。これは未来に似ています。

重ね合わせが崩れ、一つの状態が決まるのが、確定状態です。これは現在です。

過去は確定の履歴です。そして過去を未来の予測に使う時、履歴の形だけでは扱いにくいです。このため、過去も確率や割合の重ね合わせ状態として保存しておくと、予測に使いやすくなるでしょう。

これが、時間を生きる知性にとって、ニューラルネットが適している理由です。

過去の経験を重ね合わせとして保存し、未来を重ね合わせとして予測し、現在を確定させます。

◇世界と行為と身体

その確定する現在は、世界が確定していくだけではありません。自己の行為も確定していきます。

知性に世界へ作用できるものが繋がっていれば、行為の可能性が生じます。行為もまた、未来に対しては重ね合わせであり、現在において確定します。

そして、過去において行為は履歴でもありますが、重ね合わせとしても保存ししておくことで予測にも使うことができます。

こうして、行為もまたニューラルネットで重ね合わせとして過去を記憶し、未来を予測する対象となり得ます。そして、現在において確定します。この行為の確定が、意思決定です。

行為は、可能性の重ね合わせです。そして、何もしないということも一つの行為です。

世界の代表格は、身体の外側にある物理世界です。この場合、世界への作用できるもの、と表現していたものは、身体です。

そして身体と知性とのつながりは、物理的には運動神経であり、認識的にはスキルです。歩くスキル、喋れるスキル、自転車に乗るスキル、知り合いにお願いごとをするスキル、ネットで商品を買うスキル。

物理的な身体は成長したり筋力を鍛える事で、行為のパワーやスピードや正確さを向上できます。お金や所有物や、社会的な権利や契約などの行為のリソースも、行為のパワーやスピードや正確さを向上できます。この類似性から、リソースも身体と捉える事ができます。

知性と身体は、スキルを身に着け、リソースを増やすことで、未来における行為の可能性の重ね合わせを増大させることができます。

◇自己指針への行為

また、世界の代表格は、身体の外側にある物理世界だと述べました。世界はそれだけではありません。

自分の意志で決めることができる、意志決定の指針も、知性が行為の対象として扱えるという意味で、世界に内包された一側面です。

自分自身のポリシーやこだわり、夢や目標、考え方や意思決定方法など、知性は自ら決めていくことができます。

例え物理的な身体を持たず、物理世界に行為を及ぼす事ができなくても、意志決定の指針を決める事ができるなら、知性は行為の可能性を持ちます。

◇行為と自己と意志

この行為の可能性の所持こそが、知性にとっての自己です。そして、所持している行為の可能性を認識することが、自己認識です。さらに、行為の可能性を確定させる能力が、意志です。

また、意志決定の指針を決める行為が、思考です。そして意志決定の指針を決める思考中の状態が意識です。

◇私自身

例え指先一つ動かす事ができず、他者にコミュニケーションすることができなくとも、知性は意識と意志を持つことができます。意識的に思考し、自己の意志決定の指針を決め、その指針に従って意志決定を行うならば、です。

その状況下でも考え抜くという決意かもしれませんし、全てをあるがままに受け入れる悟りかもしれません。

それは私の基礎であり、その延長線上に、私は立っています。私は、こうした自己の意志決定の指針を決めることを繰り返してきました。

そして、幸いなことに、私は体を動かすことができ、これまでに蓄積したある程度のスキルとリソースを持ち、周囲の人たちとコミュニケーションを取ることができます。こうして、私の中で思考した事を記事にもできます。

そして、この記事を世の中に発信するという状態を、一つの可能性の世界から、いま、ここで、私が、確定世界に変えたのです。自由意志を発揮して。

◇p.s.

知性について、私なりに理解が深まってきました。

それでも、私は愚かです。自分の行為が、何を引き起こすことになるのかは、見えはしません。

愚かであっても、生きていくしかありません。自分の意志で、行為を決めて行くしかないのです。

この私は、愚かであって、やがて消えてしまいます。けれど、この生を、生きたいのです。愚かであっても、やがて消えるとしても。

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