アートと食の関係:食という究極の総合芸術

■アートとしての食

私たちは毎日、食事をしています。生きるために必要な栄養を摂取する目的なら、もっとシンプルで良いはずですが、私達の食事習慣は、非常に多彩で高度な豊かさを持った食文化を形成しています。

生きるために必要な部分と、余分な部分の差は、私達が純粋に快い時間を過ごし、楽しい体験をしたいという気持ちから生み出されています。

これは単なる生理的な欲求を越えて、美しい詩や絵画や音楽を求める指向性と何ら違いはありません。しかも、目や耳だけでなく、舌や鼻、更には触覚、もっと言えばテクスチャや温度知覚や痛覚まで駆使して鑑賞する、人間の知覚全てを駆使する総合芸術です。

それだけではありません。

  • 食は動的な芸術です。絵画や彫刻のような静的な芸術とは違い、音楽や劇のように時間の流れがあります。

  • 食はインタラクティブアートです。単に進行する時間を受動する音楽や劇とは異なり、食事は自ら口に運び、咀嚼するという能動的な態度で鑑賞することを強制します。これは、作品が完成した時点では、鑑賞する順序、タイミング、組み合わせが無限に存在しており、その中から鑑賞者が自分の好みで選んていくというスタイルの高度なインタラクティブ性があります。更にはリズムやテンポも、鑑賞者が決め、芸術家はそれを指定することは通常できません。

  • 食は一期一会の芸術です。どんなに同じように作っても、二度と同じ作品には出会えません。また、インタラクティブな関わりを持って作品が鑑賞されるため、鑑賞のされ方も含めて二度と同じ体験は起きません。

  • 食は参加型の芸術です。多くの人が、食のアーティストです。そして多くの家にアトリエとしてのキッチンが備え付けられていて、毎日のように、創作としての調理や準備が行われ、鑑賞会としての食事が行われます。

  • 食は全方位の奥行きを持ったアートワールドを展開しています。高級レストランや料亭でのファインアートから、日常の食卓というポップアート、工場生産されたレディメイドアート、ジャンクフードのような廃退芸術まで抱える、多様で奥深い世界です。

  • 食は様々な様式や流儀や流派を持つ芸術です。これまで長い歴史を持って進化発展してきました。そして今なお、プロのシェフ、食品業の開発者、飲食業界の企画者、料理研究家、料理を趣味としている個人や、家族や自分の生活のため料理をする人まで、様々な人が新しい工夫や発明をして進化発展させています。

  • 食は高度な分業芸術です。一つ一つの作品に、無数のプロフェッショナルと、ノウハウやテクノロジーが関わっています。農業、畜産、漁業といった一次産業、食品加工や調味料の製造業など、食という芸術作品が完成するまでには映画さながらの多様なプロたちの共同作業があります。

  • 食は食事を中心に周辺文化を形成します。カトラリー、食器という食がなければ生まれなかった文化から、食事する部屋のコーディネートや食事中の音楽など、豊かな体験を支えるための多くの文化的な工夫に包まれています。

  • 食はスケーラブルなコミュニケーションアートです。一人でも楽しめますが、複数人でも楽しむことができます。このアート体験が、単に芸術として個人に豊かな感性的体験を与えるだけでなく、人と人とをつなぐ役割をはたします。食はこのような形で、社会の豊かさにとって、なくてはならないエッセンシャルなアート文化となっています。

  • 食は最も多くの人が体験し、最も多くの回数の鑑賞がなされ、最も多くの時間が費やされる人類最大の芸術文化です。

■食から見たアート

私は絵画鑑賞が好きで、いわゆる現代アートにも関心があります。その話をすると、多くの人が、芸術やアートは、理解不能で高尚で縁遠いものだと感じているという話をしてくれます。

しかし、このように考えてみると、私達は全員、食という究極の総合芸術を鑑賞し、また多くの人が創作活動をしています。そして日常的にこの芸術の話題で盛り上がっているはずです。こんな作品がスーパーに売ってたよとか、昨日は新しい作品づくりに挑戦したよとか。みんな、立派なアートラバーです。

こうして私達が食という芸術に参加しているという視点は、食に対する理解と興味をより強くするでしょう。そして、食を芸術として捉え直すことで、翻って絵画や音楽、現代アートの理解にも繋がります。

それはクラシックや現代アート鑑賞に興味を持ちやすくなるというだけでなありません。反対に、食という芸術に喜んで高い関心を持って参加しているアートラバーたちが、なぜクラシックや現代アートに関心を持つことが難しいのかという理解にも洞察を与えます。

この視点は、鑑賞者側の問題とされがちだったアートと社会の関係性に対する疑問に、一石を投じます。アートは社会に、美味しい料理を提供しようとしているのか。あるいは、その美味しさにたどり着くまでの環境を整えようとしているのか。何が食と異なり、何が参考にできるのか。

アートはしばしば、芸術家の内面を深く表出させることだけを指向したり、何か今までにないものを生み出すことに集中したりしているように思えます。

しかし、料理はそれとは異なります。料理人の内面や新規性も重視される場面ももちろんありますが、最終的には鑑賞者に「おいしい」という感覚、さらに言えば感動を与えることを指向することから逃れることはできません。いくら内面を深く表出し、今までにない新規性を生み出すことができても、おいしくなければ評価されることはありません。

これを、食という芸術の制約と見るか、芸術の本質と見るかによって、考え方は異なるでしょう。しかし、アートと社会のコネクションを強めることを目指しているなら、この視点は非常に重要です。

食と同じ方向性を持つことを目指せば、そこに多くの手がかりがあるでしょう。

一方で、食とは異なる道を進むのであれば、それなりの困難さが見込まれます。例えるなら、必ずしもおいしさを目指さない食に対して一定の価値を社会に形成する試みに近いわけです。このように捉えると、高い壁にチャレンジしなければならないことが一段と鮮明に理解できます。

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