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終わらないパーティが始まる:生命の起源へのマクロ的アプローチ

はじめに

生命の起源について私の仮説を整理した記事で、活性フェーズと非活性フェーズについて触れてきました(参照記事1)。これまで生命の起源を紐解く鍵の一つである自己増殖について考えていましたが(参照記事2)、それをさらに突き詰めて考えている時に思いついた概念でした。

生命の起源、つまり有機物の化学進化の結果として最終的に細胞が生まれるまでの過程では、シンプルな有機物が組み合わさっていく現象が一気に進行していくという事は考えにくいと思います。

基本的には多様な有機物が様々なタイミングで組み合わさる中で、たまたま進化に相当するような上手い組み合わせが見つかって、それで1ステップ進化する。そしてまた、しばらくの間多様な有機物の組合せ試みられながら、次の進化が起きるのを待つ。そういう過程だと考えられます。

その過程を頭の中で想像している際に浮かんだのが、パーティのイメージです。クリスマスの時期や社交界で行われる、あのパーティです。

そこから、活発に有機物の組み合わせと化学反応が発生する活性フェーズと、それが落ち着く非活性フェーズという2つのフェーズがあることが、化学進化にとって意味があるという事に気が付きました。そこで、私はこれをパーティ仮説と名付けています。この記事では、このパーティ仮説の考え方について説明していきます。

パーティのイメージ

ここではかなりお酒が入った大人数で盛り上がっているような、そういうものをイメージします。

パーティの中には多様な人がいて、1人でたたずんでいる人もいれば、少人数で談笑している人、大勢で輪になって話をしている人もいます。それぞれの人がは、しばらくしたら移動して別の人と会話をしたり、大勢の輪が分離して小さな輪になったり、別の輪と融合してさらに大きくなったりもします。(これは多様な有機物が様々に組み合わされる様子です)

また、会場の中の話し声が大きくなってくると、パーティ会場全体にその影響が波及し、各自の話し声も大きくなりますし、話も盛り上がってきます。そのうちにどこかの環で大きな笑い声や掛け声が上がったりして、ますます会場は熱気に包まれていきます。(これは有機物が組み合わさって化学反応が起きる様子です。そこで生み出された新しい有機物や熱が、さらに新しい化学反応を連鎖的に発生させる場合があります)

さらにパーティの盛り上がりを聞きつけた人が会場の外からも集まってきて、パーティ会場の密度は高まり、どんどん熱気も上昇していきます。ダンスが始まったり、歌を歌ったり、肩を組んで輪になったり、ウェーブが起きたり、どんどん熱狂が高まっていきます。(有機物の化学反応がさらに激しくなったり、それにより今までリーチできなかった物質にもアクセスする可能性があります)

けれども、やがて楽しかったパーティも終わりを迎えます。あれだけ盛り上がっていた人たちも何処かへ行ってしまい、会場には静寂が訪れます。(化学反応が活性化するには外部からのエネルギーが必要です。それが途絶えると、非活性の状態に移行します。これは、ちょうど地球の昼と夜のような環境の変化です)

ただ、全てが元通りの無になるわけではありません。パーティの熱狂の中で、得られたものがあります。パーティ会場の壁に描かれた絵かもしれません。皆で歌うために書き留めた楽譜かもしれません。即興で遊んだゲームのルールかもしれません。そして、人と人とのつながりかもしれません。(活性化している時に生成された有機物は、非活性フェーズでは壊れてしまうものもありますが、安定性の高い有機物は残り続けます)

パーティの中で生まれたアイデアや発明は、パーティの終わりとともに消えていったものもたくさんあります。けれども、残ったものもあります。これらは次のパーティが始まるまでそこに残り、新しいパーティを早い段階から盛り上げる小道具や仕掛けとなります。そしてまた次のパーティでも、そこに書き足されたり、また新たにアイデアが生まれたりします。(夜が過ぎればまた昼がやってきて活性化が始まります。その時、安定性の高い有機物は夜を超えて次の昼に利用され、進化していきます)

こうして、パーティ会場には、様々なパーティアイデアが蓄積されていき、回を重ねる度にパーティはその熱量と盛り上がりを増していきます。(安定性の高い有機物の進化は、活性化時の化学反応を促進します)

パーティが終わり、また始まるというサイクルは、パーティが残す絵や楽譜やゲームのルールのような物たちを、沈殿させて凝集させる意味もあります。パーティ中には起きなかった反応が起きるかもしれません。沈殿することで濃縮されたり、風化してより強い構造のものだけが残るかもしれません。(活性化と非活性化の繰り返しは、安定性が高いロバストな有機物を自然選択的に残します。これが化学進化における自然淘汰の役割を担っていると考えられます)

パーティが会を重ねて色々と面白いアイデアが重なってくると、そこからビジネスのような事が起こる事があります。単に盛り上がるだけでなく、何か役に立つものを作ったり、効率を上げたり、エネルギーを獲得したりします。また、それを次のパーティにつなげるような仕組みが発明されます。ビジネスのように、それが既存の仕組みよりも費用対効果が高ければ、その仕組みは自己維持的に上書きで採用されるでしょう。(化学進化における自然淘汰は単に安定性やロバストな有機物を残すだけでなく、その中から効率よく化学反応を起こすものを選択的に残していきます。強者が生き残るのではなく、効率性や多様性も環境適用性も重要な進化の指針です)

パーティは終わらない

ビジネスのようなものが生み出される頃になると、パーティに異変が訪れます。

パーティで生み出されるものが効率化され自己維持が強くなります。すると、パーティが終わった後も、隅の方でビジネスの話をしばらく続けるようになります。始めは気軽な楽しみだったパーティが、少しずつビジネスの場のようになっていきます。(夜になって外部からのエネルギー供給が止まってからも、しばらく化学反応が続きます。昼の内にエネルギーを有機物に蓄え、夜に使って化学反応を駆動します)

この時間が少しづつ伸びていきます。そして、やがてビジネスの話をしている間に、次のパーティが始まるケースも出てきます。(化学反応をつづけたまま、次の昼を迎えられるような有機物群が出てきます)

最初の内は何度も続かず、連続パーティにも終わりが来ます。しかし、回を重ねるごとにパーティの連続記録は伸びていきます。

そしてついには、終わらないパーティが始まります。このパーティは、熱狂と鎮静化を繰り返すものの、鎮静化している間も完全には終了せずに必ず誰かがパーティ会場に残って話をしています。(夜になっても止まらずに化学反応が続くようになります。これは細胞の誕生かもしれませんし、もしかすると細胞の誕生よりも手前の段階かもしれません)

40億年ほど前に、どこかの時点で、この終わらないパーティは始まりました。

その時から、様々なものを生み出し複雑かつ多様に進化をしてきました。時には急激な環境変化で大打撃を受けて多くの物が失われたこともありました。それでも、決して全てが終わることはなく、途切れることもなく、今日まで続いています。

そうです。このパーティはまさに今も続いています。私達もまた、この終わることのない長い長いパーティの招待状を受けとってこの世界に生まれ、そしてこのパーティを続けている参加者なのです。

考察1:活性フェーズと非活性フェーズの役割

このパーティ仮説により、活性フェーズと非活性フェーズの役割が見えてきます。

活性フェーズは外部からのエネルギーを受けて、多くの組み合わせを試します。しかし、そこで生み出された組み合わせは、新しくて多様性がありますが、安定性やロバスト性は保証されません。また、効率が悪いものが残り続けるかもしません。

非活性フェーズが訪れることで、この状況を変えています。エネルギーが無くても構造が安定してロバストな物が残るようにできているのです。そして、同じ機能を有するのであれば、構造がシンプルで効率的なものが残りやすいという特性も与えることを可能にします。

これは、人間知性のように意識的に安定性、ロバスト性、効率性を選択できなくても、自然環境がそれを行えるようにする仕組みになっています。また、ちょうど地球の自転によって生まれる昼と夜、そして、公転による夏と冬が、活性フェーズと非活性フェーズを生み出しているという説明が可能です。

このように、パーティ仮説は、宇宙空間における地球のメカニズムが、生命の誕生に大きな影響を与えていたという理解をもたらします。

考察2:有機物の化学進化以外への応用

パーティ仮説、即ち活性フェーズと非活性フェーズの繰り返しが新しい進歩をもたらすというアイデアは、有機物の化学進化以外にも、様々なことにあてはめることができます。

まず、パーティ仮説の元になっているパーティ自体が、それです。本文中にも書きましたが、パーティやパーティの盛り上げ方自体も進歩させますが、人と人が出会うことで、ビジネスの他、学問や文化の進歩にも大きな貢献をしてきたと考えられます。

人間の睡眠と覚醒、交感神経と副交感神経、気持ちの高揚と落ち着き、緊張とリラックス、集中とブレイクタイムなど、私たちの日常の生活、身体活動、知的活動には、様々な活性フェーズと非活性フェーズがあります。これも成長や学習、ひらめきやときめきに、影響を与えていると考えらえます。

社会においても、ファッションや文化やエンターテイメントには流行の波が付き物です。新しい技術やビジネスの盛り上がりと衰退、経済における景気のサイクルや金融資産価値の上昇と下落、国の成長と停滞など、社会にも様々な活性フェーズと非活性フェーズの波があります。流行の谷間や景気の谷間を超えて続いている"パーティ"も思い浮かびます。往々にしてこうした谷を越えたものは、広く人々に愛される存在になっているようにも感じられます。

考察3:コミュニケーションとコンジャンクション

私は生命の起源の仮説の中で、多数の器が有機物を交換するというモデルを取り入れています(参照記事3)。これは、有機物だけでなく、人間同士の知識の交換にもみられるモデルです。

このモデルの特徴として、蓋のない器(vessel)が中身を無選別に交換するコンジャンクションと、蓋の閉まった器(canister)が選択的に中身を交換するコミュニケーションという2つのタイプの交換が見られるという点を挙げています。

パーティ仮説において、活性フェーズは丁度お酒が入ったパーティのように、器を開放的にします。このため、活性フェーズではコンジャンクションが起きやすくなります。普段コミュニケーション型の限定的な交換しかしない器も、たまにはコンジャンクションを行うことで、新しい発見や進化が生まれる可能性があるでしょう。

一方で、常にコンジャンクションをしていると複数の器同士の中身が同質化してしまって、多様性がなくなってしまいます。これも進化にとってマイナスになりますので、適度に蓋を閉じる、つまり非活性フェーズが必要です。

この器の交換モデルにおけるコミュニケーションとコンジャンクションの観点でも、パーティ仮説は大きな意味があると言えます。

パーティでお酒を飲む理由が、これで説明できるというのも面白い話ですね。ぜひ、今度のパーティでは、この話を肴にお酒を楽しんでもらえたら嬉しいです。

考察4:「いま、ここ、わたし"たち"」

哲学の話題で、私とは何かという問いを考えるとき、客観的に捉えるのではなく、「いま、ここ、わたし」という時間と空間、そして主観の観点から考える必要があるという話があります。

パーティは、同じ時間と空間を共有し、そしてコンジャンクションで気持ちをオープンにして一体化する体験です。そこには、「いま、ここ、わたし"たち"」が存在しています。

お酒を飲むパーティだけに限りません。同じスポーツやドラマを見るとしても、友人や家族と一緒に見ると全く違った感覚があります。共感とも言えるかもしれませんが、一人で見るよりも感動や興奮が強くなります。また、録画してみるよりも、オンタイムで見る方が、その場にはいなくても、同じ時間に同じ場面を世の中の多くの人が観ていると思う感覚が、また、気持ちを高める作用をもたらします。

これは、「いま、ここ、わたし"たち"」という感覚として、パーティと同じ効果があるのだと私は考えています。

意識的にせよ無意識的にせよ、様々な経験を通して「いま、ここ、わたし」を実感することが、自己の統合を強めると、私は考えています。それと同様に、パーティやエンターテイメントの鑑賞、その他にも旅行や仕事などの経験を通して「いま、ここ、わたし"たち"」を実感することが、人間関係を強めていくと考えることは、自然だと思います。

これは人間の共感能力や社会的な能力という知的能力がもたらしているのでしょうか。それとも、その能力に加えて「いま、ここ、わたし"たち"」というパーティ現象が、知的な活動とは別に何らかの一体化をもたらすメカニズムとなっているのでしょうか。

生物の中で有機物が単独で化学反応を繰り返すのではなく、様々な連関構造の中で協調動作している様子や、生態系の中でそれぞれの生物が互いに循環的な共生や連関構造を持っている様子を考えると、意識的な知性や共感といった感覚がなくても、システムは調和や一体化をする仕組みを持っていることが分かります。

もしかすると、「いま、ここ、わたし"たち"」が人と人との関係を強化するように、活性フェーズがこうした自然のシステムにおける「いま、ここ、わたし"たち"」として一体化や協調を生み出すメカニズムになっているのかもしれません。この点は、引き続き検討の余地があります。

さいごに

正直に言えば、初めに思いついた時には、少しラフなイメージとしてパーティ仮説という言葉を頭の中で使っていました。ひとまず面白そうだという直感というか、悪ノリに近い感覚もありました。

しかし、考えていくに従い、案外にこの「パーティ」というメタファーで多くの事を上手く説明できることに気が付くようになりました。その成果が、この記事の内容です。

また、これまでは要素分解的に構成要素を定義する形で生命の起源におけるメカニズムを探求してきました。これまでのアプローチは、いわばミクロ的なアプローチです。

それに対して今回のパーティ仮説は、要素を分解するのでなく、全体像の流れを追う形で分析を行う、いわばマクロ的なアプローチとなっている点も、面白いところです。

そしてマクロ的な視点で見れば、他にも多様な側面があるのではないかと思います。今後、もう少しマクロ的なアプローチについても考えていきたいと思っています。

参照記事一覧

参照記事1

参照記事2

参照記事3


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