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いざ血漿交換

カテーテルを入れてから1日空けて、3月10日にいよいよ血漿交換を受けた。
首が腫れていて寝がえりどころかちょっと動かすだけでも激痛なので、寝ても1時間ごとに目が覚めてしまった。

そんなコンディションでいざ血漿交換へ
車椅子で透析室まで運んでもらう。
こういう時に身体が大きいと不便だ。
以前イチローが大谷の欠点について
「将来2 m近いおじいさんになることくらいしかないですね。」
って言ってたけど本当にそうかもしれない。

ベッドに横になると看護師さんから治療に使うアルブミン製剤でアレルギー反応が出る可能性があること、虫刺され程度のかゆみや息苦しさがあったらすぐにスタッフを呼ぶこと、といった説明を受けた。

医師の先生がカテーテルに溜まってた血を抜き取り、作業療法士さん達がラインを機会と接続していく。

「それじゃあ始めまーす」
開始の合図
「キュルキュルキュルキュルキュルー」
…どう考えても順調じゃない音が耳元のカテーテルとラインの接続地点から聞こえる。

「なんかおかしいな、上手く接続できてない、エアー入ってる。」

3人の作業療法士さん達が集まって話し合う。

こんなんであっさり死んじゃうならまだカテーテル挿入時に血を吹き出して死んだ方がドラマチックだな、と、ふと思った。

どうも脱血がうまくいっていなかった事が原因のようだった。
やっぱりカテーテル入れる時に血を出しすぎたんだろうか。

血漿交換のカラム、下のチューブを通る黄色い液体が血漿?

ようやく身体の血が外に出ていくのを確認する。
多分写真のカラム上部から血液が入っていって黄色い血漿と赤い血球成分に分離されているのだろう。
サイズがかなり違うから膜ろ過でいけるのだろうか。目詰まりとかしないのかな。再利用できるのかな。

とか考えてる内に30分ほど経過
…背中がかゆい

気のせいかもしれないから少しよじって痒みが消えるか試してみるけど、やっぱりかゆい。程度としては本当に蚊に刺されたくらい。

看護師さんを呼ぶとすぐに駆け寄って確認してくれた。
やっぱり発疹がでてるみたいで血漿交換は一旦ストップ。アレルギーを抑える薬を2種類投与した後に再開した。
事前に警告してくれたおかげで早めに言い出せたけど、遅かったら呼吸困難まで進んでたかもしれない。
やっぱり簡単な治療じゃないなと改めて確認させられた。

その後は順調に交換が進み、3時間半がすぎた頃の最後の壁がやってくる。

尿意が限界なのだ。

すみません、あとどれくらいで終わりますか?

あと40分ほどです。

通常は3時間で終わる治療だが最初のトラブルやアレルギー反応が出たことで大分時間が伸びてしまった。
体力に問題は無いが膀胱が限界である。
尿瓶も提案されたがもうちょっとの辛抱なので我慢する。

まさか最後におしっこサバイバルレースが待ち受けているとは思わなかった。
人生で最も長い40分だったかもしれない。

そして体調はというと5割くらいは良くなってる!
治療中にも感じていたが立ち上がってみると全然違う。杖無しで歩いても問題ない!

ただ喜びすぎてもいけない。
血液中の抗体を除去しただけで、細胞からの抗体の生産はまだ続いている可能性が高い。
過去にいくつもの病院にかかった経験から、やっていくために必要なのは結果を期待することではなく、期待が破れた時に破綻しない精神力を持つことなのを私は知っている。

この状態が持続する保証は無いけれど、初めて自己免疫疾患と証明された瞬間だった。
10年間原因不明と言われ続けたものの正体に大分近づけたのは本当に恵まれているなと感じた。

しかしこの晩、急に両手足がしびれる。
腎臓に問題があるかも?
安心できない日はまだまだ続く…



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