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男でも女でもないって思い込み?

「それって思い込みじゃない?」
ジェンダーアイデンティティの話をするといわれる言葉第一位、かもしれない。

男でも女でもない。Xジェンダーとかノンバイナリーとかそういうアイデンティティだと人に伝えることは、自分にとっては当たり前のことを話しているにすぎないし、あいさつのようなものでもある。

「それって思い込みじゃない?」

俺だってトランスジェンダーではない人にそう返したい。
「男/女というジェンダーアイデンティティだって思い込みじゃないの?」

思い込む力

そもそもだ。俺は男/女と思い込めないから、思い込む力がないからこうなっているんじゃなかろうか。

明日も地球が存在するだろう。
家は安全に寝られる場所だろう。
背負ったリュックの底は抜けないだろう。
もらったお土産の箱は爆弾ではないだろう。

思い込まなければ人は生きていけない。社会生活が成り立たない。
でも、自分にはどうも思い込む力が足りないように感じる。

床が抜けない保証がないので歩けなくなる時がある。
毒かどうか見分けられないので水が飲めないことがある。
相手がいつも安全な人とは限らないので友達と会えない時がある。
刃物を持っている人がいないとは限らないので電車に乗れない時がある。

少し病的だろうか。
でも、思い込むってのは安心感や安全感が必要な行為なんだと思う。

以前書いたのだが、父親は調味料を毒だと思って避けている。安全だと思い込めないとも言い換えることができるだろう。それは不安からくるものだ。

思い込むためには幼少期から安心感を育んでいなければならないのかもしれない。

……というのも結局は思い込みに過ぎなくて、自分が男でも女でもない気がするのはこの不安とはなんの関係もないのかもしれない。

かもしれないのオンパレード。

思い込めたら楽になるだろう。
割り当てられた性が女なのだから、女だと思い込めたら生きやすいだろう。たぶん。

でも生きやすいというのも思い込みにすぎないか。
別の苦労があるだろうし。

そもそもセクシュアリティだって不確実だ。
異性愛者が明日同性を好きになるかもしれない。
女のつもりで生きてきても明日男だったと気づくかもしれない。
恋心は明日消滅するかもしれない。

本当は不確実なことなのに、やっぱりみんな思い込んで生きてるんでしょ?

治療?

トランスジェンダーとしての治療に前向きになれない。

明日女であると思い込めるようになるかもしれない。
胸を取る手術で死なない保証がない。
ひげが生えて毎日剃る手間が辛くならない自信がない。
思ったような声にならなくて死にたくなるかもしれない。
性欲が強くなったら人に迷惑をかけることになるかもしれない。

内性器を摘出して性ホルモンを入れ続ける身体になったとして、医療者から安定的にホルモンが供給される未来が見えない。
ホルモンが手に入らない社会情勢が来たらみんなどうするんだろう(これを想定したうえで乗り越えて治療する人は本当にすごいと思う)

そんなんだから、お前はトランスジェンダーではないといわれることもある。
不安なだけなんだけどな。

彼女の見解

そんなようなことを彼女にペラペラしゃべっていたら、毒親育ちあるあるなのかね、と言われた。父親譲りの神経質さだけでは説明しきれないような不安定さ。母性不在の家で育ったからか、底が抜けてしまったかのような不安の強さがある。どこまでいっても安心しきれない、何をしても不安が拭えない。

確かにそうだなあ、と自分でも思う。
俺に必要なのはトランスジェンダーとしての治療ではなく、安心感や完全感を育むことなんだろうということも。

底が抜けたような宙ぶらりんの不安感がいつかおさまって地に足が着いたとき、自分はジェンダーアイデンティティをどこに置くだろうか。男や女だと思い込むこと、どちらでもないと思い込むこと。自信をもってそれができるだろうか。

読んでくれてありがとう。
明日地球がありますように。

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