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大人になってみると大人なんていなかったことに気づく

 子供の頃と、大人になった今の、物事の見方において何が一番違っているかというと、子供の頃は世の中はちゃんとしていて、完璧で、そりゃ時々は犯罪とかあったとしても基本的にはうまく回っているものだと思っていたんですが。

 大人になってみると、そんなことは無く、むしろなぜこれで世の中が回っているのか不思議なほどに、ほとんどのことはグダグダであり、どうしようもなくて、適当なものなんだと感じるようになりました。


 もっとも、このことは「人間の本能」を考えてみると、ある程度は当然かなとも思います。

 というのは、人間はどのような環境に生まれ落ちても適応できるような能力があります。言語も、そこが日本だろうがアメリカだろうがフランスだろうが、生まれて5年もいれば、ペラペラに喋れるようになる。子供というのは、その環境に適応するために、その環境を疑いなく取り入れるようになっているのでしょう。完璧だと思って吸収するわけです。


 子供の頃は中学生が大人に見えて、中学生の時は大学生が大人に見えて、大学生は四十歳とかが大人に見えて。

 で、僕は今、四十代ですが、主観的には中学生の頃と特に変わっていないし、自分が特別に大人になったとも思えない。おそらく、みんなもそうだと思います。

 ただ、「上の人」に対する幻想というのは引きずっていて、今は、六十とか七十くらいの人を、偉そうに、頼りがちに思っちゃうんですけど。たぶん、今までのパターンから見ていて、そんなことは無いのでしょう。これも、根も葉もない幻想なのでしょう。


 僕はそんなに社会に関わっていないですが、会社や官庁にしても、自分の同級生とかが、そこそこの責任ある役職になるほどの年齢でしょう。ヤベェよなと思いますよ。え、あいつらが社会を動かしているの?と。どうしようもないだろう、と思います。

 でも逆に言うと、人間がどうしようもなくても、この社会が成り立つほどに、世界はヌルゲーだとも言えます。なぜか分からないけど、スマホは通じるし、牛丼は美味しいし、飛行機は飛ぶ。一人一人の人間がどうしようもないほど、能力が低いのに。


 ま、これは、個人の能力の低さを補ってあまりあるほどの、人間のコミュニケーション能力の凄さです。そして、さらには知識を時を超えて伝達できるようになった、文字とか、最近のインターネットとかのおかげです。

 もともと、動物の中で図抜けているコミュニケーション能力を機械化して、さらに凄まじいことになっていますから。ただ、相変わらず、人間の個人を見てみると、自分と同じようなただの人であり、子供の頃に思っていたような、しっかりした大人なんてどこにもいないと、大人になって知りました。


 世の中に、特別な人間なんていないし、ものすごく賢い人もいないし、きちんとした大人もいないし、結構、グダグダです。マジでグダグダです。高校の生徒会と国会も、そんなに大差ありません。大会社の社長とかでも、お金持ちでも、マジで馬鹿な人も多いです。本当に。信じられないかもしれないけど、本当です。

 18歳の人間が60歳になったところで、本質がすごく変わるわけもない。個人を見れば、そんなものです。1が10になることは無い。1が1.1ぐらいには、なるかもしれないけど。


 何が言いたいかというと、世の中、その程度のものですから、不具合があれば変えちゃえばいいし、遠慮することは無いってことです。

 我々が、この社会を「完璧だ」と思ってしまうのは、親のことを尊敬して素晴らしい人だ、と思ってしまうのと同じです。ただの人なのに。親を、偉大だと思っちゃうんですよ。

 そりゃそうです。我々が赤ちゃんで無力な時に、絶対者として近くにいたんですから。でも、自分が親になってみると、なんとも思わないし、ただの人です。ただの人を偉大でかけがえのないものと思ってしまうのです。

 ま、親に対しては、別にそれは悪いことでは無いとは思うけど、同じように、我々は社会に対しても、素晴らしい完璧なものだと思ってしまうのです。親を偉大だと思うように、前提として存在するものを、素晴らしいと思うのです。


 でも、この社会というのも、ただの作り物であり、誰も実態が分かっておらず、不具合がたくさんあり、古代からのグダグダの伝言ゲームのように続いているものです。そして、それを運営しているのも、僕やあなたと同じような、ただの人。だから、何か変だと思うことがあれば、遠慮なく変えていくべきだなと思っているんです。

 高校生ぐらいの時に、友達同士で集まって、なんとなくのルール的なものが生まれます。でも、それで不都合が起きると、やっぱ、こうしない?的なこと、あるでしょう。あのぐらいのテンションで、社会に対しても思っていればいいんだな、と思う今日このごろ。だって、そのぐらい適当でどうしようもないと、やっとこさ気づいてきたので。はい。またあした。

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