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ヒトはコミュニケーションに特化したサル

 人間の声帯は、他のサルと比べると声帯膜ってのが無いそうで。声帯膜が無いことによって、大きな音を出すことが出来なくなったんだけど、その一方で、発生を安定させることが出来たらしい。京大の研究だそうで。

 で、なぜそうなったか、という想像をします。言語、というかサルの場合なら「鳴き声」ですが、その目的は何か。敵を威嚇する、仲間に情報を伝える、といったことです。

 で、伝える情報というのも、「ライオンが来た」とか「ヘビがいる」とか、シンプルな場合なら、安定した発声は必要無い。実際、サルもその程度の情報交換はしています。「ライオンだ、危ない!」ぐらいは、サルは喋ります(鳴きます)から。

 発する音声により、どこにいる相手に伝えるか、という問題もあります。距離が離れていたら、大きな声が良い。実際、動物の鳴き声ってめちゃめちゃ大きいですよね。人間って、それに比べると、そんなに大きな音を出せない。人間は、大きな音を出すのは苦手なんです。

 身体的に言えば、それは声帯膜が無いからだそうですが、目的論で言えば、それは、そもそもそういう必要が無いという「環境」の結果だと思います。大きな音を出す必要が無いということは、伝えたい相手が近くにいる、ということです。人間は群れているんです。

 人間を、他の動物と比べた時に、何が優れているかというと「知力」では、ありません。人間の知力って、大したことないです。暗記力だったら、チンパンジーの方が上。チンパンジーは、神経衰弱とか、一発で全部暗記するぐらいの記憶力がある。人間は、そういう記憶の仕方ができないんです。

 ちょっと話がずれるけど、人間はそのままではなく、「意味」として記憶します。だから、意味を汲み取りにくい神経衰弱のランダムな配置を覚えるのが苦手です。数字の暗記も、語呂合わせとかの意味にしますよね。そういう覚え方なんです。

 一方で、意味あるものを記憶するのは得意。歌とか、ストーリーとか。これは「意味」です。ランダムでは無い。その意味それ自体を記憶するという形なんです。ま、そういうふうに思うと、暗記に偏ったテスト勉強がいかに無意味か分かると思います。知識が要らないということではなく、ただのゲームとしての暗記、それ自体には意味が無いし、人間の得意分野では無い。

 歴史にしても、年号という数字ではなく、ストーリーの方が重要なんです。794ウグイス平安京は知っているけど、なぜ平安京に遷都したとか、ほとんどの人が知らない。

 という現代教育への文句を挟みましたが、話を戻すと。人間の知力は大したことないけど、人間が優れているのは、コミュニケーションです。情報伝達。人間は、1人1人の個体としての能力は、ほとんどの動物より劣っています。身体がザコいのは言うに及ばず、知力も大したこと無い。

 でも、個体間での情報伝達がめちゃめちゃ優れている。群れの中の1人が、何かを発見したら、それを他の個体に伝えることができる。さらに、それを代々、子孫にまで伝えることが出来る。だから知識が積み重なって、凄まじいことになっている。

 さて、コミュニケーションを行うということは、これは難しいことで。なぜかというと、自分が思っていることと、相手が思っていることは、違うからです。見ている景色も違う。それを「同じ」と、お互いに思って、情報伝達しないといけない。それが「意味」です。意味を同じにするんです。

 それを、プラトンは「イデア」と言ったんだと思います。究極のイデア(本質)があるということは、本来は違うもの同士を「同じ」と思うためのものです。で、同じと思う必要があるのは、そうしないと、情報伝達ができないからです。

 以前、言語というのは、雑多な世界を適当に区切ってくくったものだ、と言いましたが。そもそもは、モノはどれも一つ一つが違うんですから、何かと何かを「同じ」と思うことは、どうにしろ、めちゃくちゃなことをやっているんですよ。そこに理由は無いんです。だから、適当に区切るしか無い。で、その区切り方に理由があるわけ無いんだから、集団の中で、どういう合意をするかは、適当(恣意的)になるんです。単語の示す範囲は、はっきりしたものではなく、どこかふわっとしたものになります。

 そのズレがあると、情報伝達に不具合が生じる。じゃあどうするかというと、話し合うんです。だから、人間はおしゃべりするんです。

 先程、人間は他のサルに比べて声は小さいと言ったけれども、同時に、人間ほどしゃべり続ける動物もいません。3歳児とか家にいれば分かると思いますが、延々と喋り続けるでしょう。人間は、そういう動物なんですよ。もっとも、現代教育ではそれを良しとしないから、現代日本で大人になると、どんどんと喋らなくなりますけど。

 ついでに性差の話を言えば、女性の方がおしゃべりなのは、これも人間の遺伝子が想定している環境を考えれば当たり前で、女性は基本的に集団の中にいて、外に出るのは男性の方が多いからです。外では、しゃべる意味が無い、というか、しゃべったらいけない。

 狩猟をしている最中にしゃべったり出来ませんから。だから、アイコンタクトとかハンドサインという、喋らない意思伝達でサバゲーするのなんて、男性は好きでしょう。一方、群れの中にいるという想定の女性は、情報伝達を密にする必要があるから、リアルのおしゃべりをしたくなります。

 また、人間は他の動物と比べて身体能力が劣っていますから、大きな音を出す必要が無い。音を出すということは、自分の居場所を知らせるということであり、それは、ある程度の身体能力がなければ、ただ単に食料としての自分の居場所を伝えることになってしまう。

 せいぜい「仲間に聞こえる範囲の音」しか、出す必要が無い。大きな声を出す必要が無いほどの、身体能力の無さ、そして、逆に自分たちのエリア内では安全だという環境があるから、仲間内に伝える音は躊躇なく出せる。

 人間の赤ん坊は、よく泣きますが、あれは泣いたところで外敵に襲われないと想定しているから、泣いて、助け(おっぱい欲しい、おむつ替えて)を保護者に求められるのです。

 赤ん坊が泣きまくるということからも、人間は遺伝子が組み上がった数万年前から「安全な村」を作っていたことが分かります。安全だから、ぺちゃくちゃとおしゃべりすることにも、躊躇が無い。むしろ、そのおしゃべりにより個体同士が繋がって、群れとして行動するという生存戦略です。

 冒頭で紹介したニュースのように、人間には、他のサルにはある声帯膜が無くなったことで、安定した「小さな音」を出せるようになった。その目的は、集団内でのおしゃべり、つまり情報伝達です。

 さて、そのように身体(ハード)が変化すると同時に、ソフトも変化します。ハードが変われば、それを運用するソフトも変化するのは当然です。そのソフトというのは、いわば、おしゃべりしたい、という欲求です。人がおしゃべりをしてストレス解消になるのは、そもそも、そうしたいという衝動があるからです。

 そういう面で見ても、現代社会が、さらにコロナ禍やネットによって、どれだけ人間の本能から離れてしまい、ストレスフルになっているのだろうかと思う。本能そのままが一概に良いという話では無いけど、無視しすぎる現状も良くない。

 我々はコミュニケーションに特化したサルなのだという自覚を多少は持って、そして、完全に理解し合うというのも不可能なのだという自覚も持って、話し合うことが大切だなと思う今日この頃。そのために声帯膜を無くしたのでしょうから。またあした。

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