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エマニュエル・トッドのウクライナ戦争の感想と、未来の家族制度について

 エマニュエル・トッドの『第三次世界大戦はもう始まっている』という新書を読みまして。もともと僕は、トッドさんの「家族体系が政治イデオロギーを決める」という論が正しいなと思っており、今回のウクライナ戦争の見方も、面白いし、正しいなと思っています。イデオロギーの戦いではなく、父権性が強い共同体文化(ロシア)と、核家族的文化(西洋)の衝突という見方です。ウクライナはそもそも国としての体を成しておらず、西洋(アメリカ・イギリス)の傀儡だというのは大前提ですが。その元に家族制度の不一致があるということです。

 トッドさんの論によれば、アングロサクソンを中心とする西洋文化の基盤には「自由な核家族」があるのですが、現在、政治的に西洋側に組み込まれていても、文化的(家族制度的)には核家族では無い国がある、と言います。ドイツと日本です。ま、韓国もそうか。中国ほどの父権性・共同体の強さはありませんが、基本的に長男が相続するような「家」文化があります。日本は、文化的には、西洋ほど自由(自由が良いとは限りませんが)ではなく、中国ほど共同体的では無い。その中間に位置しています。

 別にトッドさんは日本の専門家では無いので、日本を、長子相続の男系文化と捉えていますが、僕は、実態は言うほどでもないと思うんですが。というのは、江戸時代までは、武士階級はともかくとして、庶民は苗字も無いし、男が偉いわけでもなかった。自由度が高い社会だったと思っています。なぜ武士階級は男系かというと、そりゃ、儒教文化で統治しようとしたわけで。徳川家康が初めて「日本」を統一したわけです。その時点で、支配フォーマットとして儒教が最も適していたから、採用したのでしょう。

 ただ、支配(支配が悪いということでは無い)は、直接支配ではなく、藩制度を通しての間接的な住民支配ですから、庶民にまで儒教的な文化が適応されるわけでは、ありません。庶民にまで支配が及ぶのは明治以降であり、富国強兵で軍隊・工場を稼働させる必要があったからです。で、西洋の一神教をコピペしてきて、天皇を神格化させて「国づくり」したんですが、これは日本の歴史においてはかなり特殊で、江戸時代までのほとんどの期間は、庶民は庶民という、かなり原始的な社会だったんじゃなかろうかと、僕は思っています。

 ってことで、トッドさんが思っているよりは、日本は儒教的ではなく、むしろ、その日暮らしのポリネシア的なマインドも強いと、僕は思っているんですが。話を戻して、現代の政治体系の中では、日本が西洋(核家族)と中国・ロシア(共同体)の狭間にいるのは、そりゃそうだと思います。そんでもって、こんな話はかなり無意識的なことなので、普通は議論にも登りません。そもそも、ウクライナ戦争を「家族制度」で読み解こうなんて人は、まず、いないわけで。ってことで、トッドさんの本は面白いのでご一読ください。

 「家族制度」というのは、文化の根幹を成すものであり、我々の無意識に根強く影響しているものだと思いますが。さて、僕の課題として、コミュニティづくりをするにあたり、どのような家族制度を採用するのか、また、そもそも採用しないのか、という問題があります。こんなものも、やりながら見極めるしか無いとは思いますが、ざっくりと、こんな形にしたいなぁと思っているところは、あります。

 家族制度が、世界にさまざまな形のものがあるということは、逆に言えば、人類に普遍的な家族制度は存在しない、ということでもあります。また、社会は今は無理やりのグローバル化をしていて、それはダメだと思いますが、大きな流れとして、世界の交流が増していき、じんわりと均一化していくことは、良いことだし、不可避な流れだと思います。(てか、そうならないことには、核兵器の均衡の上に成り立つしかないわけで、それは危険すぎる)

 それぞれの文化を保持しながら共存していこうという保守的な論は、100年ぐらいのスパンなら別に良いんですが、どうにしろ情報交流が発達して、物流も発達していけば、均一化していきます。千年ぐらいのスパンで見れば、文化的な差異は小さくなっていきます。(そうならないなら、それは現代文明が滅びているということです)。で、その時にベースとなる「家族制度」は如何なるものだろうか、という話です。

 人類に普遍的な家族制度はありませんが、普遍的な「遺伝子」は、あります。人間がどのくらいのコミュニティサイズが最も幸福度を感じるか、というのは、これは普遍的だと思っているんです。(ちなみに、100人ぐらいです)。となると、そこが遠いゴールとして存在するわけですが、そこにどうやって至るかは、それぞれが今、有している「家族制度」の文化によって違ってくると思います。核家族がベースになる西洋がそこを目指すのと、共同体が主となっている中露が目指すのでは、表面的な行動が逆方向になることも、あるかもしれない。

 西洋なら結びつきを強くして、中露なら結びつきを弱くする(国家が解体していく)という方向になるのかもしれない。表面的には真逆ですが、同じところに行き着くんじゃないだろうか。物理が最終的に、最もエネルギー値が低いところに運動が落ち着くように、人間の家族制度も、最もエネルギー値が低いところに落ち着くと思います。で、それは遺伝子によって決定されているだろう、と思います。

 人類の遺伝子は、未だ、スマホにも産業機械にも文字にも、ひょっとしたら農業にすら対応していないんです。人類共通で遺伝子組み換えしてアップデートして「新人類」になろう、というのは、一つの選択肢として有るでしょうが、そうしないのであれば、現在の、おそらく数万年前の狩猟採取時代に最適化された我々の遺伝子が「最もエネルギー値」が低いところに、文化は落ち着くと思います。その前提としては、平和や、環境の安定が必要ですが。そうでないと、危機に対応するために、それぞれの文化で固有の家族形態を取るでしょう。

世界平和と自然環境、これはどちらも、我々が生きる世界の安定を目指すものです。そして安定した世界では、人間の遺伝子はほとんど同一なので、とある同一の家族制度が普及し、ベースとなった上で構築される社会制度・政治制度があるんじゃないかと思うわけです。またあした。

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