根無し草が、根を張って生きるには
コミュニティづくりをするときに、最大の障害が「お金」だと思っています。お金は人間関係を破壊する、というか、そもそも人間関係が無い相手との取引に使うのが「お金」なので、お金を使うということは「人間関係がありませんよ」というメッセージを無意識に伝えてしまう。なので、お金は友情などの人間関係を破壊するのです。
お金ってのは本来は、ただの道具なんだけど、現代社会ではお金は道具以上の、大いなる幻想になっています。で、僕も含め、ほとんどの現代日本人は、その幻想にどっぷりと浸かってしまっている。
コミュニティを作る、これは「人間関係を作る」ことに、他なりません。人間関係が、コミュニティの本質です。コミュニティは「ソフト」なんです。で、そのソフトを生かすためのハードをどう作るか、という問題もある。
良い人間関係を作るための「家」は、どのようなものであれば良いか。皆が集まる集会所はどのような設計が良いか。田んぼや畑は、どのくらいの面積が必要か。という、ハード面の整備という問題があります。
しかし、ゼロからのスタートでは無いんです。てか、ゼロからのスタートの方が楽だと思います。何がマイナスかというと「お金」です。現代日本の「常識」である、お金を得て自立するのが一人前というライフスタイル幻想。これは、コミュニティづくりにおいてはマイナスです。そのマイナスを皆が背負っている状態で、さぁ、どうやってコミュニティを作っていこうかという課題なんです。
いっそのこと、宗教団体みたいに財産を全て寄付させて、さぁコミュニティで面倒を見ますよというのは、非常に乱暴だけど楽な解決策だとは思うんですけど。
で、これを「乱暴」だとか「宗教的」だとか思うのも、やっぱり、我々がお金に囚われているからだとも思います。ま、コミュニティ以前に、結婚ですら、お財布を別にするのが「常識」だったり、しますからね。そんなの結婚の意味があるのか、と思いますが。当人はあると思っているから、あるんでしょうか。
僕は、できるだけ自己を薄くして拡大して、他者にまで「自己」を広げていくことが、社会的動物である人間の幸福につながると思っています。
共同体がなくなって個人化した社会は、どうなるか。個人化しても、人との結びつきを求める欲求が、人間にはあります。その欲求が、大きな範囲でまとまると、何百万人という人間が一方向を向きます。
それには、新聞やラジオやテレビやインターネットというメディア(ハード)が必要ですが。そうやって誕生するのが、ファシズムです。個人化社会はファシズムに繋がります。
資本主義とか共産主義とかは「お金の流れ」で分類されがちですが、お金の流れというのは、人間関係です。そもそも、お金というのは、人間の活動を媒介するものですから。そして、お金の流れ(経済)と別の枠組みとして「集団」のサイズ、というものがある。
共同体があるかどうか、大家族か核家族か、個人化している社会かどうか、ということです。そして、資本主義は当然「個人社会」に向かいます。お金が最大限になるには、共同体が無い方が良い。その方が需要が増えますから。
経済がフローなら、コミュニティはストックです。資本主義社会では、フローだけを「豊かさ」だと思っています。経済の豊かさ、お金の豊かさというのが、豊かさだと思っています。
そう思うと「年収」が個人の価値になっているのは象徴的で、なぜそれが「年収」というフローであり、「資産」というストックでは無いのか。資本主義だと、そうなるんですかね。ストックの豊かさは、コミュニティの豊かさであり、それはGDPには現れません。何度も別の話でも言っていますが、人間関係は「お金」に換算できません。
てか、人間関係ができると、お金の動きは減ります。逆の流れなんですよ。フローの「お金」をストックするというのは、共同体を作る、ということです。人間関係があったら、給料だって払わなくていいんです。形だけでいいんです。お金を払わないといけない、というのは、個人化して、人間関係が無いから、お金が無いと生活できない状態にいるからです。
これね、かなり大事なところだから、ちょっと繰返しになりますが、言いますが。
近代の経済発展の流れというのは、共同体を解体して、個人社会を作っていくことでした。必要な「モノ」が増え、そして、今はSNSなどのコミュニケーションツールも「経済」になっている。これは、人間関係(共同体・コミュニティ)というストック資産が、フロー資産になっている流れです。そして、フローが増えているのを「経済発展」と言っているんです。
で、逆の流れも起こり得ると思っています。てか、目指しています。お金というフロー資産を使って、人間関係というストック資産にすること。面白いのは、人間関係というストック資産は、捉えようが無いので、課税されないということです。DXが流行りですが、人間関係をデジタル化はできません(少なくとも、近い未来にもできる気配は無い)。逆に言えば、管理しようと思えば、管理できる、数字になる「お金」を使わせた方が良く、そのためには、個人社会が必須だということです。
さて。共同体から離れて、根無草の個人になることを「自由」とか言うわけですが。そんなところに人間の幸福はありません。
ただ、完璧な共同体なんていうものも無く、それなりに不満は、どこでもあるでしょう。そして、隣の芝は青く見えます。隣の自由な個人社会は、キラキラしているように見える。で、その実態を知って、おら東京なんて嫌だ、故郷に帰る、ってのは、とても「まとも」なんですけど。僕も含め多くの人は、そもそも帰る故郷すら無い。根無草になった個人が集まって、どうやって共同体を作るんだという課題です。
「共同体を守るべき」というのが、本来の保守だと思いますが。僕は、そもそも守るような共同体は、もう現代日本にはほとんど残っていないと思っています。良い中小企業とか、地域コミュニティとか、農業団体とか、まだ形が残っていて守れるものは守ればいいんですけど。若い世代になればなるほど、そもそも守るような共同体が無い。
果たして、ゼロから作れるのか。で、これは僕の体感なんですけれども、作れると思っているんですよ。
人間ってのは不思議なもので、2〜3時間も話せば、結構、仲良くなっちゃうんですよね。本当に不思議です。血縁が無い相手でも、一緒にいたりすると、なんか仲良くなっちゃう。これは人間の最も特異な能力だと思います。話して、仲良くなって、意思疎通して、協力するということが、今まで全く会ったことの無い人とでも出来るんですよ。外国人とだって、出来ちゃうんです。そして、そのためには、共通の「仕事」があった方が良い。そして、現代日本には「仕事」が山ほどあります。
仕事ってのは、人が必要としていることです。バイト雑誌に載っているものが「仕事」じゃ無いんですよ。本来の仕事は、人が必要としているもの、です。(逆に、お金は入るけど、人のためにならないものもあります。そんなのは「仕事」では無い)。
周りを見渡してみて、何が必要ですか、と。日本では自殺する人が年間で2万人ぐらいいる。毎日、100人近くが自殺している。「自殺したい人」なんて、その数十倍、いるでしょう。不健康な人も多い。そして自然は荒れ果てている。やること、山積みです。
ってことでね、仕事をしよう、って話です。みんなで集まって仕事をして、コミュニティを作るわけです。という感じでやれば、根無草の我々もどこかに根を張って、幸福な暮らしができるだろうと思っています。またあした。
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