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なぜお金が無いと、生きていけないのか

 現代社会では、生きることが、ほぼイコール「お金を稼ぐこと」になっています。なので、お金があれば何でもできると思うし、逆に、お金がなければ生きていられないと思う。

 でも、「お金がなければ生きていけない」は、明らかに違いますよね。だって、お金が無い時代から、人は生きているのだから。縄文時代にお金は無いけど、人は生活していたわけです。では、そもそもお金とは何か、という話をします。


 お金とは「信用の代替物」です。例えば、クレジットカードは、ほとんど「お金」ですが、クレジットというのは英語で「信用」の意味。

 むしろ、クレジットカードは、お金よりも原始的とも言えます。この人は東証一部上場企業に就職していて地位もある、きちんとした人だ、だから信用がある、なので品物をあげよう、きっと、そのうち返してくれるだろうから、というのがクレジットカードの仕組みです。

 クレジットカードを使った時点では、お金は払っていないんです。ただ、その人に「信用」があるから、クレジットカードが使える。でも、返済がとどこおったりすると、信用が無くなる。クレジットスコアが落ちるわけです。すると、信用が無くなるから、クレジットカードが使えなくなる。


 信用による取引は今に始まったことではなく、古代からあった仕組みです。

 モノを交換するときに、ちょうど、互いが欲しいものを持っていることも無いでしょう。肉が取れた、魚と交換したいけど、今、相手に魚は無い。そうした時、交換は行われるでしょうか。

 行われるんですよ。知った相手だったら、今、肉やるから、今度、魚が取れた時にちょうだいよ、と。それで済むわけです。今まで何十回と取引をしていれば、その相手には「信用」がある。そういう相手だったら、今この瞬間に片方がモノを持っていなくても、物々交換は成り立つんです。

 じゃあ、それが「信用の無い相手」だったら、どうするか。難しいですよね。初対面の人が「肉をちょうだい、今度、魚をあげるから」と言っても、いや、お前誰だよ、本当に魚をくれるかどうか分からないじゃん、嫌だよ、となる。

 でも、そういう「知らない人」との取引でも「お金」があれば大丈夫。お金、そのものには価値はありません。ただのデータか紙か金属です。そのデータや紙や金属に、価値が付与されている。みんなが信じているから、お金が生まれるのです。(発行している国家の信用が無くなれば、お金は無くなりますが)。


 さて、先ほど言ったように、お金というのは「信用の代替物」ですので、信用が無い場合に使われます。本来は「信用」なんです。この人なら大丈夫という信用のもとに、取引が行われる。

 そして、そもそもなぜ取引が必要かというと、人間は1人では微力なので、他の人が作ったものや、他の人に手伝ってもらうこと(サービス)が必要なんです。他の人に頼らなきゃいけないから、取引が必要なんです。


 現代社会というのは、人間がどんどん孤立していっている社会です。孤立しているということは、人間関係が無いということです。すると、個人間での取引が行われなくなる。知らない人との取引になる。それが「市場」です。

 市場というのは、知らない人と取引をする場なので、お金が必要なんです。もしくは、クレジットカード会社のように、信用を担保してくれるところがあれば、クレジットカードを使える。いずれにしろ、個人間の信用が無くなった先に、お金やクレジットカード(スコア)が必要になります。

 そういう社会ですから、人間が孤独になり、「お金しか信じられない」となるのは当然です。お金が無ければ生きていけない、と皆が思う社会になったのは、市場経済が発達したからです。

 そして、それと並行して、個人間の信用が無くなった。それは、共同体が無くなったということです。家族であり、地域であり、また昭和風の中小企業などもそうでしょう。お互い、知り合っている仲だから、そこには信用があった。そこでは、お金がなくても、個人で取引ができたわけです。共同体とは、個人間の信用における取引が行われている集団のことです。


 スピ系で「お金の無い社会」を目指す活動もありますが、それは、言い換えると「信用のある社会」です。お金が無くなっても、取引が順当に行われれば、社会は何も変わりません。造幣局の人が暇になるぐらいです。

 で、中国なんかは「信用スコア」を普及させていますが、お金に代わる取引媒体としての信用スコアです。信用スコアは、通貨発行しているようなものです。世界の基軸通貨はまだまだ米ドルですので、それに替わる未来通貨として中国は「信用スコア」を目指しているのでしょう。

 でも個人レベルで言えば、たとえ、お金が無くなって「信用スコア」の社会になったとしても、それはそれで、今の「お金が無ければ生きていけない」という市場経済社会が、「信用スコアが無ければ生きていけない」という信用経済社会になるだけ。

 まぁ、その過渡期には「お金スコア」と「信用スコア」があり、どちらも併用するという形になるでしょうが。いずれにせよ、国や大企業に頼った、お金や信用というものに首根っこ掴まれており、それが無いと取引ができず、生きていけない、ということは変わらないでしょう。


 では、それに対抗するには、どうしたら良いか。そもそも、お金も信用も「取引」のためにあるのですから、取引をしない、というのが究極的に「お金も信用もいらない生き方」です。

 取引をしないということは、自給自足ってことです。自給自足するためには、土地が必要です。食料や水は、土地からしか生まれませんから。なので、どこかの土地に根付いて、自給自足率を上げるということです。

 ただ、そもそも自給自足が大変だからこそ、人間は古代から取引をしているのです。繰り返すけど、1人の人間は、とても微力だからです。だったら、仲間を増やしたら良い。「信用できる仲間」を増やして、たとえば10人いたら、それだけ自給自足が楽になる。共同体を作る、ということです。

 仲間内での「信用」は、クレジットカードや巨大IT会社とは関係ない、心の中にある「信用」です。それは、自分で簡単に増やすことができる。失った信用も、頑張れば、一生懸命やれば取り返せる。そして、絶対的なものではなく、相手によって信用も違う。それでいいんです。

 変な例えかもしれないけど、ヤクザの生き方というのは、似ています。彼らは、一般社会での、お金や信用スコア(クレジットカード会社のような)は、必要ありません。

 でも、ヤクザの仲間内での信用は必要です。裏切りは許さない。それは、信用のためです。ヤクザ内での信用スコアがあるんです。それこそが共同体です。ヤクザはヤクザで、小さな共同体の中でオリジナルの信用スコアをカウントして、仲間内での取引をしているのです。

 話を戻して。お金が無いと生きられない現代社会の真っ当な対策は、お金を稼ぐことです。FIREとか。でも真っ当では無い、そして根本的な解決策というのは、個人間の信用を増やして、個人間で取引することです。

 この「取引」というのは、商品とかいう大袈裟なものじゃありません。商品というのは「市場経済」に投入するためのサービスです。個人間なら、商品では無い。ただ、人のためになることをする、というだけです。忙しそうだから手伝う、困っていたら助ける、そのぐらいのことです。それは、相手に何かをしていることであり、取引なんです。

 自給自足を核として、市場経済に頼る部分を可能な限り減らす、信用に基づいた共同体を作ること。そうすると、「お金が必要無い」とまではいかなくても、必要度がかなり下がります。

 お金が無ければ生きていけない、というのは嘘で、本当は、食料が無ければ生きていけない、水が無ければ生きていけない、家が無ければ生きていけない、というのが「本当」です。

 だったら、お金を経由せず、それを直接、手に入れちゃえばいいじゃん、作っちゃえばいいじゃん、というだけの簡単なことなんです。またあした。

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