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お金を使わないと、生きるのが有利になる

 単独(とか家族だけ)での自給自足は難しくて、コミュニティを作ると有利だ、という話をします。人間は生きていくために、いろいろなモノを生産しなくては、いけない。だけど、人間には多様性があって、得意不得意が人それぞれで分かれています。お米を作るのが得意な人もいれば、魚を釣るのが得意な人もいる。

 これは、そもそも人間は「群れ」で生きていたからで、みんなが得意なことが一緒だったら、食べ物の栄養バランスだって偏るじゃないですか。群れで生きるために、人間はうまいこと、好きなこととか、性格がバラけているんです。

 自給自足が大変なのは、オールマイティになんでも得意、という人はほとんどいないので、一人でやると必ず、好きでもないこと、要は生産効率が悪くてストレスの溜まることをしないといけなくなるから、です。だから、人間は協力しあって分業する方が良い。群れを作って、支え合いながら生きてきたわけです。支え合うといっても、得意なことがそれぞれ違うので、ま、大まかに言えば、好きなことをしていたら、支え合えるようになっているんです。

 人間が協力したくなる「仲間」の範囲は100人ぐらいで、それ以上の範囲と協力したければ、知らない人と協力することになるわけですから、何らかの工夫が必要。それが「お金」です。共通の価値である「お金」というシステムで、知らない相手とも協力して価値交換することができる。現代社会では、どこの国でもお金が通用しますので、外国の人とも協力できるわけです。だからスーパーで外国の野菜とかを買えるわけです。

 で、そのシステムがうまく行っていれば、問題無いんですよ。ただ、「顔の見えない相手と協力する」ということは、相手を騙すこともできる、ということです、悪い言い方をすれば。不労所得を得ることも出来る。何百億円と稼ぐことも出来る。

 それだけの価値ある仕事をしているかどうかは、基準を何に置くかで違いますが、お金に基準を置くなら、そりゃ当然だ、になります。それは現代の「普通の価値観」です。でも、人間の普通の感覚として、いや、一人の人間が他人の何百万倍も価値あるわけないだろうと思うなら、それもまた正しくある。

 というか、正しいことなんて無いので、みんなが思っている共同幻想を正しい、と言っているだけなんですが。でも、現代社会を見るに、我々の大多数が幻想として抱いている「価値」の感覚と、実際に得られるお金の価値の感覚が、かなり離れてきているように思える。多くの人がそう思っている。一生懸命働いても生活が苦しい、その一方で、お金持ちは相続して上級国民、みたいなやつです。ま、それが2倍とか3倍ぐらいなら、ま、そんなもんだよねと納得するかもしれませんが、1万倍とかになってくると、いや、そりゃ違くね?と、なってくる。

 そのズレを修正する方法の一つが、コミュニティを作りなおす、ということです。コミュニティ、社会、共同体、言葉は何でもいいんですけど、似た思いを持っている人と協力するというだけのことです。そこで、自分達が正しいと思う「価値の交換」を行う。で、気をつけたいのは、我々は、巨大な「お金の経済」に慣れていますから、価値の交換を、数値化したくなっちゃうんですよ。何時間働いたとか、いくら分の成果が出たとか。

 でも、それが違うのは、そのような数値化というのは、巨大な社会を運営するために必要なものであり、小さなコミュニティには必要無いんです。というか、むしろ必要悪なんです、データというのは。人間は100人ぐらいの集団までなら、それぞれの構成メンバーを理解できるし、それぞれの事情を汲み取れます。なので、個別対応できる。あいつは、あいつなりに頑張っているから、よし、というように思える。

 本当は、そういうように個別対応するのが最も良い関係の作り方なんだけど、100万人とか1億人の集団でそんなこと無理じゃないですか。だから、データ化するんです。数値というのも、本来、違うものをまとめる、ということです。

 「りんごが1個」と言っても、りんごだって一つ一つが違うんですよ。同じりんごなんて、この世に存在しないんです。人間なんて、もっと、一人一人が違うし、1時間の仕事として、まとめられるものでは無い。それを無理矢理、時給いくらとかにしているわけです。

 で、我々は、そういうシステムに生まれた時から浸かっていますから、それが当然だと思っている。それが、新たにコミュニティを作っていこう、という時のハードルになると思います。俺はこんなに働いているのに、あいつはサボっているじゃないか、という不公平感を抱いてしまう。その根本は「皆、同じ」だと思っているからです。本当は、皆、違うんですよ。違うものを「同じ」だと思っているだけなんです。で、同じが良いと思っているんですが。本当は、違う方が良いんです。

 違う方が良いんだけど、差別とか格差という、また、別次元のひどい「違う」がはびこっているから、むしろ「同じ」は良いと思っちゃうんだけど、本当は、理解できる範囲ぐらいは細やかに個別対応する方が良いんです。

 で、細やかに個別対応できる範囲内で、価値交換する。その細やかな個別対応は、どうやって作り上げるかというと、おしゃべりです。一緒にいる時間を増やし、話し合い、人間関係を築き、その上でお互いの得意不得意を把握し、価値交換する。当然、そこにお金は介在しなくて良いわけです。


 で、本質的なことは、そういうことなんですが。本質的では無い話をすると、現代社会において、お金を介さない価値交換をすることは、とても有利になります。なぜなら、社会制度が「お金で管理する」システムになっているから。例えば、何かの商売をするときに、許可や免許が必要だったりしますね。で、その定義といえば「お金を取ること」なんです。飲食店をする場合に、お金を取るから、保健所や飲食業の許可が必要で、税金も払うわけです。

 でも、お金を取らなければ、どうなるか。何をやっても構わないんですよ。飲食業をしようが、宿泊業をしようが、人の髪を切ろうが、マッサージをしようが。友達にごはんを作るのに、飲食業の許可は要らないでしょう。知っている範囲のコミュニティ内部で、お金を介さない価値交換をすることの、大きな現世利益は、法律の縛りを外せるから自由になるし、当然、税金も払わなくて良くなります。所得税も消費税も払わないで済む。

 「1万円分の価値」の仕事を、とある2人が交換するときに、お金を介せば、その何割かを税金が持っていくわけです。当然、最も良いのは、税金を持っていく相手(政府・公務員)が、信頼できる仲間であり、中抜きとかしないで、きちんと働いてくれる人であれば、払う意味はあるわけですが、ま、そうかどうかは人それぞれの価値観があるでしょうが。そうじゃないと思うなら、お金を介さない価値交換していた方が、ずっと得だよ、ということです。逆にいえば、お金を使うと損をするんです。いろんな、協力したくない人と協力せざるを得ないから。

 ということで、コミュニティ内部でのお金を介さない価値交換をしまくるというのが、最も豊かに暮らせる方法だと思っているので、自給自足はしないほうが良いですよ、という話です。さてさて。山の暮らしは朝晩、とても涼しくなって、寒いぐらいになっておりますが、いかがお過ごしでしょうか、という季節の挨拶をぶっ込み、明日から10月ですね。またあした。

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