台風の備えをしながら、日本人であることを感じる
台風がやばそうなので、朝から水源を掃除してきました。予想降雨量が最大で1000ミリとか言っているし。1メートルですよ。アホかと。ま、数年前の西日本豪雨のときも、うちの周りは1000ミリ降って、ところどころで道路が崩落したりはしたんですが、さしたる影響は無かった。今回もそのレベルなら、山も乾いているし(最近、雨が降っていなかったので)、大丈夫かなと思っています。
台風が来ると一番困るのが水です。うちは沢を水源にしているんです。我が家だけしか使っていないので、自分で水源を管理しています。その取水口も、落ち葉とかで詰まるから、時々は掃除しに行くんですが、台風が来ると、その取水口が土砂で埋まるんですね。当然、水が来なくなる。おまけに、掃除しようにも、普段は小さな沢なんですが、大雨で濁流になっているから危なくて近づけない。
対応としては、屋根からの雨樋を貯水タンクに直結させて、雨水利用をするとか。ま、そんなことでしのぎます。こんなことも年1〜2回なので、その期間だけ、ちょっと洗濯をしなかったり、風呂に入らずにシャワーで済ませば良いわけで。皿洗いもしなくて良いように、100円ショップの紙皿を用意しておくとか。あと、飲料水も濁るので、ペットボトルのミネラルウォーターを用意してあります。
あとはヤギの餌やりができなくなるので、何日分かの大量の草を用意しておくとか。田舎で暮らしていると、天候という環境に左右されることが多いです。日本は雨も多く、地震も多く、季節の移り変わりもはっきりとしている。こういう環境の中にいると、自然の移り変わりに追いつくだけで精一杯。
日本人の文化的な習性って、ひょっとしたら、日本の自然環境に原因があるんじゃないかと思うんです。日本よりも天候が安定しているところだったら、今、何かをしないということは無い。明日でもいいじゃん、となる。実際、そうなんです。別に今日やらなきゃいけないことは無い。でも日本のように、台風が来るぞとなったら、今日、準備をしないといけない。
また、季節の移り変わりに合わせた農業をするのなら、この日に種をまかないといけない、というのがあります。これが熱帯のように、1年中そんなに気候が変わらず、米っていつ植えても良いという土地だったら、今日、何かをしなきゃいけない、ということが無い。自分次第で動けるんです。周り(環境)に合わせなくても良いんです。
日本の自然環境に合わせて、日本の文化が出来上がってきたとするのなら、季節の移り変わりがはっきりしており、それに一生懸命、対応してきたということが、日本人の「時間を守る」とか「人に合わせる」という習性になったのかもしれない。で、たまたまその習性が、明治期以降の、工場労働的な近代資本主義の働き方とマッチしたのかもしれない。それが日本が、非欧米諸国の中で経済発展できてきた理由なのかもしれない。
そして日本人は働き方だけではなく、プライベートでも「予定」が詰まっている方が、安心するのかもしれない。何千年と、この自然環境が激しく変わる島国で、環境の変化に対応してきた結果、そういう遺伝子と文化が優先的に残されたのかもしれない。僕も日本人ですから、何もしないでのんびりするとか、苦手なんですよ。何かしら、用事をしたくなっちゃう。セコセコしているんですね。ってな感じで台風対策を朝からしながら、日本人だなと感じる日々。またあした。
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