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みんなで仲良く、という日本文化

 前にも紹介したけど、大石久和さんの『国土が日本人の謎を解く』が、本当に素晴らしくて。ぜひ読んでください。今まで読んだ、いわゆる日本人論の中で最も納得できました。どういう話かというと、前の繰り返しになるけど、日本人は自然災害が多い国土に住んでいるから、いつ来るかわからない「災害」に対応する行動・文化になる。対して大陸の諸国は、災害よりも、多民族による侵攻・紛争が主な災厄だから、それに対応するようになる。それが、日本と世界(の大半)の違いになっている、という話です。

 大陸諸国は、中国なら「権力」、西欧なら「法治」による統制が行われた。そういうように、ある程度、強引な統制を行わなければ、大きな集団をまとめることはできず、集団を率いて紛争を闘うことはできません。でも日本は、その必要がなかった。自然災害に対しては、大きな集団として対応する必要は無く、小さな、数百人程度の集団でも対応できた。というか、自然災害はケースバイケースなので、そのぐらいの方が効率が良い。100万人の集団で戦争はできるけど、100万人の集団での災害復興は意味がないんです。

 結果、日本人の特性として「個」で動くのは苦手だけど、小さな顔見知りの集団で動くのは大得意、という国民性が出来上がります。その国民性は、数万年来の歴史を持つものですから、変えようと思っても変えられない。それこそ、日本語を捨てて英語を公用語にするぐらいの変化が無いと、変われないです。

 じゃあ、これから「日本」をどうしていこうか、という時に、一つは「個」を確立するルートでしょうが、でも、これが無理ゲーなのは、明治以来ずっと頑張っているのに、いまだに出来ていません。やっぱり、数万年来の歴史というのは、たかが150年程度で変えられるものではないんですよ。教育ルートが不毛。なので、それを変えるよりは、日本人はそういう民族なんだ、そういう性格なんだと踏まえた上で、少集団を基本として働くというのが、最も良い方法だと思います。

 僕は100人程度のコミュニティが人間生活の基本になる、と思って、コミュニティづくりをしていますが、この本を読んで思ったのは、人類共通のものというより、日本に特有のものかもしれないな、ということ。というか、本来は、人類特有のもの、ホモサピエンスの基本形だったと思うんですよ、100人集団というのは。でも大陸諸国は紛争の歴史の中で、もっと大きな集団を作らなければ生き残れなかった。なので、それに対応する文化・性格が出来上がっていった。それが何千年ぐらい続いているわけです。

 なので、むしろ「変わっている」のは大陸文化の方だとも言える。この「変わっている」の基準は、自然です。人間が自然体で存在する、我々の遺伝子が規定しているのは、おそらく、100人集団なんですよ。それが自然体に近い。そもそも、人間の遺伝子は自然災害は想定しているだろうけど、紛争なんて想定していないはずなんです。だから、紛争対応の方が「意識的」なんです。で、その「変わった大陸の紛争文化」は、バトルロワイヤル的に勝者だけが生き残ったから、生存者バイアスで、現代のほとんどの文化がそうであると見えるわけです。

 要は、変わり者が多数派だから、変わり者が「普通」に見えるということです。ま、そういう背景はあるにしろ、ともかく現実として、日本人は大陸的なバトルロワイヤル紛争史観に対応した文化を持っていません。「少人数の仲間で仲良く」という、自然体に近い文化です。で、文化を変えるのは大変なので、やはり、社会構造を、小集団を基本とした単位に直していって、個人の成果とか、競争を避けるようにした方が、生産効率が上がると思います。

 あくまで、日本の場合は、ですよ。アメリカなんかは、個人の成果主義で競争させた方が、成果が上がるんだと思います。人それぞれ違うように、文化もそれぞれ違うんですから、向こうさんでうまくいったことを、そのまま持ってきても、うまくいかないんです。ってことで、100人ぐらいのコミュニティを作るという毎度の話に、なんか論理的な裏付けができたようで嬉しい気分。またあした。

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