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本当に必要な「予防策」は、ヒーローを生まない

 台風がやばいですね。まだ高知は、特に吹いていませんが。これから雨戸を閉めて、ヤギに二日分の餌をやって、飛びそうなものを倉庫に入れて、軽トラとかも移動させて、ってなことをやらなきゃいかんなと思いますが。ま、今まで10年、山奥に住んでいて特に台風被害が無かったので、今回も大丈夫でしょう。という正常性バイアスをバリバリ働かせております。

 でも実際、一応は考えていて、地元の人にも、うちの場所はどういう風が吹くか、っていうことをヒアリング調査(立ち話)で聞いているんですよ。すると、南からの風(台風は南風がやばい)は、この土地はスッと抜けていくので大したこと無い。一番やばいのは、谷底から吹き上げる風だ、と。吹き上げる風が屋根を持ち上げて、剥がしてしまう、というケースがあるそうなんですよ(今まで無いけど)。

 で、そのための対策として、谷側には森を作っています。防風林ですね。山側は崩れないように、スギを切って下草を生やして、土を保持したりとか。という、田舎ならではの、木を生やしたり、木を切ったり、沢を補修したりという、公共事業的なところまで広げて災害を防いでいます。そういう作業の積み重ねの結果でしょうか、ま、10年たつけど今のところ、大きな被害は出たことがありません。

 ただ、こういうことが現実の、国や自治体の公共事業で難しいのは、「予防」なんですよ。そして、現代社会では、予防にはお金が下りない。個人レベルでも、そうですよね。癌になって、その癌を名医が手術で摘出した、となれば、その医者は莫大な報酬もあるだろうし、ヒーローになるんだけど。そもそも癌にならないように生活指導していても、感謝も何もされないわけです。予防っていうのは、そういうものです。

 ここ100年ぐらいの「人命を救った発明」で、最も偉大なものは、薬ではなく「水道」だという話があります。きちんと消毒された、綺麗な水を配給することが、最も人命の救助に繋がる。でもみんな、シュバイツアーは知っていても、水道システムを構築した行政官なんか知らないわけです。そっちの方が人命を救っていたとしても。

 ただ、現代日本では、このような予防で行政を動かすのは難しい。うちの近くにも、崩れそうな道路があるんですが、崩れる前に補修するとなると、なかなか難しい。崩れたら、補修してくれるんですよ。でも崩れる時って、一気に他のところも崩れますから。大雨とか地震が起きているわけですから。となると、工事も滞る。だったら平時に予防的に工事しておけばいいんですけどね。

 いつもの「本能」の話をすると、こういうことも、本能と現実の矛盾なんですよ。人間の「本能」は、予防をしようと思わないんです。問題が起きたら解決しよう、とは思う。でも、そもそも、その問題が起きないように予防しようとは、我々は本能的には、思えない。なぜなら、本能が想定する原始社会では、予防できるような行動をとるとは、思えないからです。道路の補修とか、水道のような公衆衛生という以前に、道路とか水道を本能は想定していませんから。その予防なんか、思えるわけが無い。

 健康も、そもそも病気が起きないようにするのが一番良いわけです。同じように、災害も、そもそも起きないようにするのが一番良い。そういう社会では、問題を劇的に解決するヒーローは登場しないんだけど、ヒーローなんていない方が良いわけです。ヒーローが活躍する、というのは、危機に陥っているわけですから。ただ、我々の原始社会に適応した本能は、劇的なヒーローを求めてしまうんですね。はい。またあした。

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