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子ども嫌いが、子どもを宿し、産むまでの話①


私は子どもが苦手だ。大騒ぎして店中を走ったり、勝手にものを触ったり、予期せぬことをやらかす手前勝手な生き物だと思っている。
そんな生き物を育てる親の人間は、大変に越したことはないはずだ。

ずっとそうやって考えてきた。幸せなことよりも、大変なことのが多いのだと。

だから私は子どもがほしくなかった。子どもはいらないと思っていた。

それに加えて、私の心の中で、子どもの望めない人や、子どもを持たないという選択をする人たちの存在がとても大きかった。
そういう人たちもいるのに、私「なんか」が、子を持ってはいけないと常日頃感じるものがあった。

ある年、私は結婚をした。やさしい夫だ。夫は私のことをとても大切にしてくれる。
そんな夫の夢は、子宝に恵まれることだった。
私はそれを否定できないが、叶えるにはとても勇気と責任のいることだった。
私は正直に話した。子どもがほしくない、ほしいと思ったことがないと。
夫は理解を示した。2人の人生でもいいと私に言った。きっと本心ではなかったと思う。

結婚生活はとても幸せで、ここにもう1人人間が増えることはとても違和感のあるものだった。
自分の性格上、人を育てるなんて、無理だと思った。私はカチンとくると、感情を抑えられないタイプなのも相まり、想像すれば想像するほど、それは不幸な生活だった。

私が子どもをほしくないと感じていた理由がもうひとつある。

自己肯定感の低さだ。私は太っていて、太っていることを開き直っている。そして太っているくせに、人の悪口を言い、下品なことで大笑いする。そんな自分からうまれる子どもが、マトモなわけがない。子にとって、私が親であることがコンプレックスのひとつになるはずだとそう感じていたのだった。

そういう風に感じながら、日々を過ごした。結婚生活は実に順調で、毎日やさしい言葉をたくさんもらった。
夫は、私を認め愛してくれた。私は夫の心の広さや気の長さに、かえって心がつらくなるときもあった。自分の不甲斐なさに、悲しくなってしまうときすらあったのだ。

自分でもおかしいくらいに、後ろ向きだった。

何年か過ぎ、私は30歳になる年を迎えた。節目を感じた。人生の中で、立ち止まり何かを考えたいと思った。
決してこれは「年をとった」という気持ちではなかった。


そんなときに、ふと、夫の顔を見た瞬間、

ああ、この人の子どもがほしい

と心に何かが舞い降りた。
とても自然だった。気持ちが生まれた瞬間だった。自分でも驚いた。私が子を宿したいと思うなんてと。
自分の子ではなく、"夫の子を産みたい"と本能的にそう感じたのだった。

夫に伝えた。子どもがほしいと。
そこからの2人の行動は早かった。まずは病院へ検査をしに行った。
私に甲状腺の病気が見つかったが、そこまで大したものではなかった。

子授けの神社へ行ったり、元の自分に聞かせてやりたいくらいに、とにかくやれることはすべてやった。

また私はダイエットに励んだ。野菜を食べ、運動をした。受診時には体重の記録を提出し、先生に見てもらった。先生はよくほめてくれた。

夏が終わり、冬になった。
そして、寒さが深まり、私が9キロのダイエットに成功した月、妊娠がわかった。
本当に妊娠した。私、妊娠した。子をおなかに宿したのだ。
子ども嫌いが、子どもを自分のお腹に宿し、育てていくこととなった。

ここから、十月十日の妊娠生活が始まる。また次の記事に書きたい。

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