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アナザースカイを持つ

九州男児になる東北人

設計監理業務のため、設計士のスタッフが先週から北九州市小倉に駐在してもらっています。来春まで小倉を拠点に下関の現場を見ます。岩手生まれ岩手育ち。大学は山形で4年。その後また岩手で就職し今に至る彼。東京をすっ飛ばして海も渡り北九州でこれから生活します。岩手の会社ですが、ご縁があり下関の会社様のブランディング・本社設計をお手伝いしています。ご想像の通り、岩手から下関に出張すると時間もコストもかなりかかります。いっそ住む?というのはごく自然な流れでした。私を筆頭にフッ軽なメンバーしかいないので、住みたい、と言ってくれるだろうな、とは思っていましたがむしろ自ら勉強の為にも行きたいです、と言ってくれてとても心強かったです。

お客様の地鎮祭@下関 こちらの設計監理業務で小倉を拠点に生活スタート

意外と国内を転々としています

私は岩手で生まれ育ち、仙台で大学浪人時代を1年過ごし、その後京都で学生生活を4年。就職で東京の池上で1年弱を過ごし、岩手に戻りました。そこからはずっと岩手ですが、この7年は夫が東京転勤したこともあり、日本橋で1週間〜10日間を連続で過ごすことも何度かありました。この1年は大阪に転勤したので福島で1年。あまり大阪には行けていませんが、それでも地図を見なくても歩けるエリアができました。案外、岩手以外に拠点があった方です。(幼い頃は二戸や鹿角に住んでいたことありますが幼すぎて記憶がほぼ無し)
 
地元とは違う土地で生活する。海外で生活することと比べると気づきは少ないように思えますが、それでも同じ日本だってカルチャーは違います。食事、方言、気候。我々はデザインや設計を扱うので、名建築や気になっているスポットもアクセスしやすくなります。拠点が変わることでカバー範囲が広がるイメージ。出張が多いので分かるのですが、何度出張で立ち寄っても深くその土地のことを知ることはできません。住んでなんぼです。

街は記憶装置

一定期間過ごした後、各地を離れて思うのは、知っているところがあるという安心感と心地よさです。第二の故郷が各地にあると、ベタな表現ですが人生が豊かになる気がしています。何回訪れても街が変化していることにも気が付きますし、たまに住んでいた家の近くをふらっと訪れたりもします。住んでいたあの時のあれこれを思い出して、忘れちゃいけない気持ちを思い出したり、大事にしなければいけないことを再認識したりと過去に触れる記憶装置のような役割を街が果たしてくれます。
 
小倉が彼にとって、第二のアナザースカイになることを祈っています。さらに成長して帰ってきて欲しいな、と切に願います。

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