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自然に呼ばれて一期、一会。

2022年、ゴールデンウィーク。大阪のローカルラジオFM802からは、久しぶりに無規制の長期休暇ということで陽気な音楽が流れていた。

今回は特に遠くへ出かけるでもなく、でもいつもとはちょっぴり違う春ピクニックの一コマである。

序章

何する?って主人に聞いてみたのはゴールデンウィークの約一週間くらい前だっただろうか。

どうしようかな。そう言ってしばらくすると、期間中開催されているグルメ系フェスのリストがずらっとチャットで送られてきた。3歳児と5歳児を連れてこんな長期休暇のグルメイベント、なかなか気合いが要りそうである。

結局のところ、3日間のお天気が続く時期に主人はトラブル対応の担当者になり、自宅対応とはいえ遠出はできなくなった。父ちゃんの代わりに徒歩数分の私の両親に協力をしてもらい、一泊二日、祖父母宅へのお泊まりやピクニックに出かけることに。

出会い

ねえ、あそこに人がいっぱいいるよ?

大阪の北摂地域の観光名所の一つ、箕面駅から1キロほど上ったところに瀧庵寺(たきあんじ)がある。その横には広場があって、私たちはそこで昼食をのんびりと食べていた。昔ながらの青いレジャーシートを広げ、祖母が握る大きめのふりかけおにぎりを完食した5歳の息子が不思議そうに指差した。

指差す方には澄んだ箕面川が流れている。川の向こうには川床があったり、川沿いの道を滝のほうに向かってまだまだ登る人もいたりする。その指差す方、川沿いの道の途中には確かに人だかりができていた。足を止めて、みんな川を覗き込むように下の方を覗いている。

行ってみよう!!お母さんお父さんちょっと待ってて!

私の父は車椅子。愛犬チワワも父の足元でのんびりとくつろいでいた。私は母にそのままの場所にいてもらい、子供たちを連れて人だかりに向かっていく。

何がいるんだろう。目を凝らす。時々小魚が集団でゆらめいてるから、お魚がいるね、あっちにも、こっちにも!!と私は小魚ではしゃいでいた。3歳の娘も目を細めながらじーっと覗き込んでいる。娘が落ちないようにそっと支えながら魚探しを楽しんでいたら、突然ポンポンと背後から肩を叩かれた。

ほら!あっちよあっち!見える!?
今歩いてるわ、ほら、岩の方!!!

クリーム色の帽子に眼鏡姿の女性。振り向いた私にニッコリと笑いながら、彼女はゴツゴツした岩のほうをしっかりと指差してくれた。でも全然わからない。

ほーら!ほらほら
あーまた動いた!
あ、こっちの方がよく見えるかな。
いらっしゃい!こっちよ!

腕を引かれて数メートル上流の人混みに移動してみたが、ほんとに全くわからない。何が動いているんだろう。見えない。

何がいるのか聞いてみたら、目をまん丸にして白いマスクに手を当てて興奮気味に教えてくれた。

オオサンショウウオよ!!!
いるよ!よく見て!大きいよ!

オオサンショウウオ?!?!?!

35年以上この北摂にすんでいるし何度も通ったことがあるスポットなのにまさか住処だったとは。しかもお目にかかれるなんてなんて滅多とないチャンスである。是が非にでも見つけなければならない。

オオサンショウウオは絶滅危惧種に指定されている水の中の生き物である。調べればわかると思うが、茶色くてマダラ模様で、自然と溶け合うようなボディ。ちょうど人だかりができている場所には茶色くてゴツゴツした岩や苔の生えた網があり、まるで見つけ出すのは自然から与えられたミッションのようである。難題。

根気強く教えてもらうこと数分。見つけた!!!!大きな岩の茶色くてゴツゴツした網の目に沿うように、のろーりのろりと歩いていた。

体の大きさに比べると手はむちむちと小さくて、ちょっと可愛いフォルムである。周りの岩と同化しているし水のゆらめきもあるから、巨体なのにすぐに見失うのもああなるほどと頷ける。

見つけた!!見つけました!!
ああよかった!!!

私が見つけたことを見届けると、彼女は笑顔で手を振ってまたどこかの人ごみに消えていった。

見つけた当時のオオサンショウウオ。遠目だとほんとにわからない。

見つけるが先か、帰るが先か。


私も大急ぎで父母のところに行き、オオサンショウウオを今度は父母と愛犬チワワ、みんなで揃って見に行った。

母は特に興奮気味に「見たい!」と言っていたが、ほんの数分目を離した隙にオオサンショウウオはまた姿を隠していた。人だかりの人たちもどうやら見失ったようである。

しばらく粘るが全然見えない。あそこら辺にいたんだよ、こんな感じでね、と伝えると、母は残念そうにしつつも皆は見れてよかったねえ、とニコニコ笑ってくれた。

もう行こうか。諦めて母はその場から去ろうとするが、どうにも私は腑に落ちない。なんだか諦めがつかない。まだ会える気がするし、母にも見てもらいたい気持ちがまだ心の中に強く残っていた。

ギリギリのギリギリ、私も諦めて去ろうとしつつ、最後に川を見下ろして心の中で別れを告げようとしたまさにその瞬間だった。

い。。。いた!
いる!!あそこ!!!

え?!どこどこ?!?!

最初に見かけた大きな岩と左側の茶色がかった小さめの岩のちょうど間に挟まるように、その巨体はのっそりと揺らめいていた。ゆっくりと体を岩の方に斜めに傾け、じっくりと登っていく。あいかわらず岩と同化しているし、動き自体もゆっくりしているが岩に上ると見えやすくなるからまさにチャンス再来である。

母が見つけられるまで、もう少しそこに留まることにした。

届け・・・!

今度は私は大きな声で、居場所を説明し始めた。指さしながら、母には十分すぎるほどの大きな声で。マスクをしていたからどこまで届いたかはわからないけれど、得意の通りやすい声質を活かして詳細に位置を説明し始めた。

この足場からゴツゴツと下の方に広がる大きな岩場。水に浸かる延長線上の網の目の、長方形というか歯型に近い岩にオオサンショウウオはじっくりゆっくり登っていく。

やはり数分はたっただろうか。今度は母の近くにいた少女が「いた!」と叫び声をあげた。「いたいた!あたしお母さんに言ってくる!!!!」ものすごい勢いで彼女もまた遠くに消えていった。

その直後、我が家はその場を後にした。本物のオオサンショウウオの姿を母も拝むことができたのである。

自然に、赴くままに。

あの少女はまた、母親に姿を見せてあげられただろうか。

私はその結末を見届けてはいない。だがこうして人伝いにワクワクやドキドキが繋がっていく感覚が久しぶりというか、妙に心地よく感じた。たまたま通りがかった場所で、たまたま出会った場所で、たまたま感動を共有して、たまたまそれが波紋のように広がっていく。なんだかずっと忘れていたことのような気がするのである。

「休日らしさ」って何だろう。主人は先日飲み会の誘いがきてようやく「休みらしいイベントができた」とウキウキしていたが、私にはしっくりこなかった。目の前の出会いや物事に一喜一憂していればこその一期一会の方が好き、と改めて思う。これが価値観の違いというならおそらくそれなのだろう。

必然ではなく、偶然の連続がふわりと運んできてくれるもの。外に出ないとあり得ない新しいモノコトの出会い。

情報社会の今だからこそ、希薄になりつつある自然と人とのコミュニケーションはやっぱり失いたくないなと思う。独身時代は虫が怖いと半ベソかいていた私が今更いうのもなんだが蝶が手に留まるのも愛おしいし、シャクトリムシも今は応援したくなるし、今後もそうしてまた何か繋がりながらほっこり愛を感じるのだろう。

これからも子供たちと一緒に一つ一つの出会いを大事にしながら成長したいものだ。祈らずにはいられない。

自然と人との出会いに、日々感謝。

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