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「書くこと」を連続30日間続けてみて思うこと

かの有名なコピーライター、糸井重里さんの「今日のダーリン」を皆さまご存じでしょうか。私自身、手帳が好きで手に取ったことはあるものの、、、ほぼ日の手帳はなぜか私は慣れなくて使っていないのですけれど(すみません)。それでも「ほぼ日」という会社というか、グルーヴのようなものにはずっと憧れ続けている。

代表取締役でもある糸井重里さんのことは、たぶん手帳からではなくて、それ以外の何か媒体を一度読んだのが始まりだったと思う。でも、詳しくは思い出せない。ある日、スイスイっと惹かれるように「今日のダーリン」のページに遷移した。「なんてキュートなタイトルなんだろう!」と思いながらエッセイを読み進めたのが、今日のダーリンとの出会いである。

「今日のダーリン」を検索してみると「1998年6月6日創刊以来、一日も休まず更新しています」と表示される。今年は2023年。

25年以上、、25年以上!?

たぶん、似たような感覚になった方は他にもたくさんいらっしゃるんじゃないかしら。私もかくいうその一人。そして、こうも思った。

毎日毎日、何かを書き続けることってどういう感覚なのだろう。

25年以上も続けたくなる、何か。それは何なんだろうって。それで興味を持ちつつも、最初は勇気が実はなく。自身の運営するウェブサイト「AsaLife」で書き始めたものの、そのサイトとの相性もどうも違う。何を誰に届けるのかも、なーんにも決めずにふらりと続けて書いてみたい。書き続けることの感覚そのものをどうにか体感してみたくて、辿り着いたのが note である。

やってみた。そうして私は、30日目を今日で迎える。note がなかったら、私、いつから書き始めたかなんて思い出せる自信もないなぁ。note の場合、記事を書こうと思ったら右端に連投日数が表示される。ああこれくらい経ったのねと、それを見て現在地を把握するような、こんな感じである。

30日間続けてみて思うのは、続けなければならない、ではなく、続けようと思ったらちゃんと続いて心地よいなぁ、ということ。毎日起き抜けに背筋を伸ばしたり、水を飲むのと同じくらいのナチュラルな工程。書くと、なんか心地いい。イイねとか、フォローとか、そういうものはどうしても気になる点はぬぐえないんですけどね。

どんな人がぽちっと押してくれたんやろうなぁ、となんとなく覗きに行って、私も引き込まれてポチっと押しちゃう。そういう作品を通した交流が生まれるのも、悪くはない。

とりとめもなくて、誰に向けているでもなくて。ただただ note という白紙の記事に、なんとなく出会ったり浮かんだりしたイイナと思うものや、驚きだったり、悲しみだったり。そういうエネルギーがこの記事から少しでも溢れていたら、誰かの楽しみだったり、慶びだったり、行動だったりに繋がることも、あるかもしれないかなぁ、、、と思うと。書き続ける意味も少しはあるんだろうか。

あるかもしれないし、ないかもしれない。

今日もぼんやりしながらこの記事が出来上がりました。

予告

これからもnoteで書き続けるのか、専用のエッセイブログを立ち上げるのかはまだまだ模索の段階です。決まるまでは、引き続き 1日1エッセイを note でお届けします。

決まれば twitter でも告知します。告知がもしもなかったら、居心地が良くてこのまま note で書き続けることにしたと思ってもらえると。。。!

スキ、フォロー、励みになります。
ではまた明日、お会いしましょう^^

連投1ヶ月記念日。

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