伯父さんの話
先日江ノ島に行ってきた。
江ノ島に行くといつも思い出すことがある。
私の伯父さんのことだ。
正確に言うと、「思い出して」いるわけではない。
私は伯父さんに会ったことがないからだ。
伯父さんは私が生まれてくる前に亡くなっている。
父が中学生の頃に事故で亡くなったそうだ。
父の実家に行くと酔っ払った父や伯母や祖母から伯父さんの話を聞いた。
「優しかった」
「いい人だった」
「自慢の兄だった」
とみんなが伯父さんを褒める。
仏間に飾られている写真はにこにこ笑っている。
確かに優しそうな顔である。
実は伯父さんはハムレットなのだった。
いや、デンマークの王子ではないから
ほぼハムレット、というべきか。
伯父さんは幼くして父を亡くした。
そして程なくしてできた継父は実父の弟だったのだ。
伯父さんの実の父は優しくて温厚で、区役所に勤めていたそうだ。
祖母曰く「真面目でいい人やった」そうだ。
伯父さんのところにやってきた新しい父親は、
その兄にはあまり似ていなかった。
戦後間も無い時代の山村に暮らしているのに
車はタウン仕様のセダンを選ぶ。
思いつきで村議会の議員に立候補する。
新事業を見つけてきては友達と起業し短期間で仕事を変える。
秋になると来る日も来る日も山に狩りへ出かけて働かない。
新しいものが大好きで、移り気で、堪え性がないのである。
さらに厄介なことにこの人物には妙な愛嬌がある。
嫌いになれないのである。
背が高く、人懐っこいクリクリした目をして、いつもガハハと笑っている。
この人物の写真を見ると、なるほど、いつも満面の笑みで人の輪の中にいる。
友達だったら楽しそうだが、
家族にいたら随分厄介な人だったろう。
詳しい話は聞いていないが
伯父さんはこの新しい父親をあっさり受け入れたらしい。
ハムレットはあんなに抗ったのに。
抗いすぎて恋人も、忠臣も、母親も、自分自身の命さえ無くしてしまったのに。
伯父さんが新しい父親と出会ったのが
ハムレットがクローディアスと出会った歳より幼かったからなのか、
伯父さんの性格なのか、
2人の関係性なのか。
ほとんど同じような人間関係のかたちで
それぞれの人間に起こる繋がりや出来事がこんなにも違うのは何故なのだろうか。
伯父さんは事故で亡くなった。
残念ながらこの事故の要因の一つは継父であった。
継父は当時、山の岩場で砂利を作る仕事をしていた。
岩に発破をかけて砂利を作るのであった。
伯父さんはこの継父の仕事を手伝っていて、
作業中の事故に巻き込まれて亡くなったのだった。
継父は何も言わずその仕事を廃業したらしい。
クローディアスを憎んだハムレットは自分も滅ぼす代わりにクローディアスを亡き者にしたが、
伯父さんは新しい父親を受け入れてその父親の仕事を手伝って亡くなったのだった。
ちなみにこの継父は数十年後、
やはり友達と起業した事業で仕事中に命を落とした。
この時は山で大きな石を切って麓までトラックで運ぶという仕事だった。
どうやら岩を積みすぎたらしく、山道のカーブで曲がりきれずに転落したらしい。
誰のことも傷つけなかったのが不幸中の幸いである。
こんなわけで私は伯父さんにも祖父にも会うことは叶わなかった。
数年前、祖母の家で伯父さんが作った修学旅行記を見せてもらった。
私が中学生の頃も同じようなものを作らされたから
今の学生も同じようなことをやっているのかもしれない。
ノートの裏表紙には
銀座か浅草で買ったのであろう小林旭のブロマイドが貼ってあった。
ローマ字でキャプチャーがつけられ
国会議事堂など東京の名所を巡ったことが綴られ
友達と撮った写真が貼られていた。
よくある、可愛らしい、中学生の修学旅行記だった。
一枚、江ノ島の写真があった。
砂浜と海と島とシーキャンドルが写っていた。
それを見た時私ははっとした。
実は私もほぼ同じアングルで写真を撮ったことがあるからだ。
世界一美味しいと言われていたパンケーキを出す店の近くの浜から、
今でもほとんど同じ景色を見ることができる。
私は伯父さんに会ったことはないけれど、
ほとんど同じ景色を見て「なんかいいなあ」と思って写真に収めたのであった。
そんなわけで江ノ島に行くと伯父さんを思い出す。
同じ景色を見て「いいなあ」と思った伯父さんはどんな人だったのだろうか。
話してみたかったと思う。
最近私にも姪と甥ができた。
彼・彼女が物心ついた頃、話すことが叶うのかどうかわからない。
もしかしたらずっと先のある日、
彼・彼女たちも同じアングルの写真を撮るのかもしれない、と思うと
少し未来が楽しみになるのである。
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