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自分が考えてるよりも他人は自分に興味がないよねって話、そして膝が地味に痛い

 今朝の話なのだが、家の近くで走って信号を渡り切った後、何かにひっかかって豪快にずっこけた。両ひざから流血し手の皮も向けた。幸い軽傷である。そもそも空手で打たれ強い身体なので、骨が折れてても痛いと思わない人間である。まあ、それはどうでもいい。

 ずっこけた瞬間私の脳裏に浮かんだのは、「うわっ、俺だっせー」というものだったのだが、ここは中国。顔を上げてゆっくりと起き上がったが誰も私のことを見ていない。というか興味がない。当たり前である、私は彼らからみたら他人(見知らぬ人)だからだ。何か知らんおっさんが道端に横たわっているなぐらいしか思われていない。いや、もうちょっと関心寄せてよとか思ったり思わなかったり。

 これが日本で、通勤途中の道だと多くのリーマンから笑われ「だっせーなあいつ」と笑われるかもしれない。日本にいると他人にどう思われるかということに意識がいきがちで、今の誰かに見られたかなとか、カッコ悪いところ見られたな恥ずかしい、等と思ってしまう。

 中国で生活していると良くも悪くも他人に対して興味を示さない(善し悪しは別にして)この社会が意外とストレスフリーで心地よいのである。もちろん、お年寄りや子供に対して非常に優しい社会という一面もあり、子供連れには暮らしやすい環境で、私は中国のこのようなところが好きだ。

 私は関西出身だが、中国と似たような環境で育ったので、東京勤務になってから非常に戸惑った。朝の地獄の通勤列車で見るリーマンたちは目が死んでおり、異常に疲れている感じがするし、足が当たっただの踏んだだの下らないことで口論になったり、手を出す喧嘩になったりというのが毎日目に飛び込んでくる。皆、地方から出てきた人が多いので、人と人との関係が異常なほど希薄なものに感じられたのである。東京勤務の初日に私は心がボキッと折られたようにショックを受けたことを未だに鮮明に覚えている。

 翻って上海も東京と同じ、それ以上に都会だが、東京との共通点はあるのだが、皆他人に興味がないというよりは、必要がない限り一切他人に干渉しないといった感じで、非常に居心地がよい。昔は上海人は外地人に冷たい等と言われていたが、今はあまりそういう感じを受けない。上海人が胸を張って言う「海納百川」(上海を海と喩えて海は百の川をも納めることができる、つまり、上海は懐が深いんだよと言いたい)もあながち嘘じゃなく、自分が実感できるレベルにあると思っている。

最初この標語を見た時の私の反応は「何言っとーこいつら(何言ってるんだ)」と冷ややかなものだったが、日を重ねるうちにそれが自分の間違いであることに気づいた。 
 上記NOTEでも書いたエピソードのように、公共交通機関でバスを譲られる立場にあるお年寄りに席を譲ってもらったり、色々な場所・場面で上海にいる人達のあったさかに触れることを数多く経験した。

 日本の場合は、同じく他人に興味を持たない人が多いのだが、社会的な「空気」を読まなかったり、「暗黙のルール」に抵触する輩には厳しく対処する、中国の場合、自分が何かをすることで他人の誰かが明らかな不利益を被るような場面が起きない限り他人には一切不干渉という感じだ。

 どちらにも善し悪しはあると思うのだが、私にとって上海での生活が心地よい。これからもこの街でお世話になるつもりだし、大好きな上海に少しでも恩返しできるようなことを行っていきたいと考える今日この頃。


今日はここまで。膝いてぇ……



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