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自己評価の高い中国人を前にして、ネガティブフィードバックをどう行うべきか?

くまてつさんのNOTEが相変わらず面白い。日本語教師の人間が、題を与えられて試験に臨むが、多くの教師がネットからのコピペに終始し、誰が書いた文章も同じで面白くない、という。

これは中国で人事採用しているとよく分かるのだが、履歴書が日本と同等かそれ以上に笑えるぐらい画一的である。要は、大元の原文を皆コピーして引用しているだけである。皆「私は性格が朗らかで、チームワークを重視し、協調性にたけています」とか書いてあって、「あほぬかせ、嘘やろ!」(笑)となる。

学校から各教員に出されたフィードバックは「上周试卷有个别老师提交的作文似乎出现网上检索参照的现象。请慎重对待考试。本周试卷及今后做试卷,不应出现此类情况。请一定一定注意!!」という内容でした。簡単に言いますと「ネットを参照して書いたと思われる作文がありましたので、もっと真面目に取り組むように。今後こういうことがないように、注意してください」と言っています。いや、注意してくださいじゃなくて、カンニングするようなクズは退場してもらいます(婉曲表現)って言って欲しいところです。相当に腰が引けています。このあたりも追い詰めない。つまり面子は潰さないというさじ加減が効いているように思います。

これを読んでふと思ったのだが、くまてつさんがご指摘されるように「面子をつぶさないよう配慮する」という点はもちろんなのだが、それ以外の要因としては、中国人自身が問題は認識しているけれども「自分は他人と違う」とある意味勘違いしている(自分を過大評価)ことによるものもあるであろう。この例でいえば、「皆馬鹿正直に自分で考えた文章を書いてるのかもしれないが、私は賢いからネットからいい文章をひっぱってきてこんなに素晴らしい日本語の文章を書きあげた」と当事者は考えているに違いない。本当に目も当てられない。

ここらへん「スジの日本、量の中国」という本においても指摘されている。私の解説NOTEもご参照頂きたい。


で、今読んでいる本に面白いことが書いてあった。

仕事でアメリカに向かった著者のフランス人の友人が、ネガティブフィードバックに関して文化的理解の相違により、上司からネガティブフィードバックを受けたのにも関わらず、自分はほめられた、自分はすごいんだ!と勘違いし、結果的に会社での立場がますます悪くなったという話である。

フランスでは、ポジティブ・フィードバックはほのめかして伝えられることが多く、ネガティブ・フィードバックはそれに比べ直接的に伝えられる。アメリカ人のマネージャーはたいていポジティブ・フィードバックを直接的に伝え、ネガティブ・フィードバックは前向きな、励ましの言葉と一緒に伝える

これを読んで、中国人の「自分と他人は違う」意識にも通じるのではないのかと思った次第である。ネガティブフィードバックがダイレクトすぎると「面子」を潰すことになる為、やんわりと指摘する、結果その人には全く響かないばかりか、ますます増長する、勘違いするということが起こる。これは多くの日本人駐在員が経験済みのことではないだろうか。

ここらへんのさじ加減は難しいのだが、私はどんな駄目な人でも一通り教える、駄目な所はダメとはっきり指摘し、何故駄目なのか、減給や契約解除の話も交えてはっきり伝える。(でも大抵の人にはそれが伝わらない、私が口で言ってるだけだと甘く考える、自分は他人とは違う、と)それでもどうにもならない人は塩漬けせずにすぐに損切りする。

※もちろん、個別に部屋に呼んで誰も周りにいない環境で、丁寧に説明することは言うまでもなく重要である。不特定多数の人の前でそれは絶対にやってはいけない。

なかには、「そんなこと繰り返してたら採用活動またしないといけないし、いい人が来るかもわからない」とかほざく人もいるのだが、そんなことをしているから相手に舐められるのである。そして、「類は友を呼ぶ」で、クソな会社にはクソな人材しか来ない。「いい人材」が欲しければ、会社が「いい会社・魅力ある会社」になる方が先である。

会社と言うのは営利企業なのだから、稼げない人、会社に貢献できない人を養っておく余裕が本来あるはずがない。緩い日系企業とはいえ、企業である。お金を儲けてなんぼである。それは常に忘れないようにしたい。


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