三国志から学ぶマネジメント(2)
歴史を見ていると庶民の目から見て高い評価を受ける人が必ずしも本当の意味でのリーダーとは言えないというのが三国志の例から見ても分かります。
私達の世代では三国志演義や横山光輝氏の漫画の影響で劉備が人気でしたが、劉備は国のトップとして見た場合(企業の視点で見るとCEO)明らかに不合格でしたよね。
傭兵部隊の隊長みたいな立場から、最終的には一国の主になりましたが、彼はすでに齢60を超えていました。現代の感覚からするともう80歳ぐらいのお爺さんな感覚です。
関羽が統治していた荊州を呉に奪われ、関羽も殺されてしまいました。依然同盟関係にあった呉に無謀な戦争を仕掛け(※)、魏以外に呉までも敵にまわした上にけちょんけちょんにやられて国力を著しく消耗させてしまい、結果的に三国の中で一番早く滅亡してしまいます。
部下に慕われていることを自慢する方がたまにいらっしゃいますが、会社や組織の為に、より良い結果を出す為には社員や部下が嫌がるようなこともやらなければならない時は必ずあります。
部下に「いい人」ではあっても、いいリーダーとは言えません。部下からいい人認定されている人は、ただ単に部下から「与し易い人」と思われているだけで、そのような組織で物凄い業績を叩き出してるところはこれまでに見たことがないです。
私が思うに他人が言う「いい人」というのは、自分にとって都合の良い人、という意味だと解釈しています。会社というのは利益を出していくのが常に求められます。部下にとって都合の良い上司・リーダーが、多くのことでうまくマネジメントできるわけがありません。
(※)関羽の弔い合戦だと言う人がいますが、関羽が死んでからかなり時間が経って仕掛けていますし、関羽にしろ張飛にしろ劉備からすれば部下の一人にしか過ぎず、その説は主流ではありません。
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